北宋31ー蘇舜欽
対 酒 酒に対す (前半六句)
丈夫少也不富貴 丈夫(じょうふ) 少(わか)くして富貴(ふうき)ならず
胡顔奔走乎塵世 胡(なん)の顔(かんばせ)ありてか 塵世(じんせい)に奔走(ほんそう)せん
予年已壮志未行 予(よ) 年(とし) 已(すで)に壮(そう)にして 志 未(いま)だ行われず
案上敦敦考文字 案上(あんじょう) 敦敦(とんとん)として文字(もんじ)を考う
有時愁思不可掇 時有りて 愁思(しゅうし) 掇(と)る可(べ)からず
崢腹中失和気 崢(そうこう)たる腹中(ふくちゅう) 和気(わき)を失う
⊂訳⊃
ひとかどの男が いまだ未熟で裕福でもない
何の面目があって この世の役に立てようか
私はすでに三十歳 志を遂げることもできず
机に向かって 文字を追いかけているだけだ
時としてこの胸に 憂いが満ちて収拾できず
積もり積もって いらいらした気分になる
⊂ものがたり⊃ 蘇舜欽の本貫は李白と同じで、同郷人です。詩題「酒に対す」には李白とのつながりが感じられます。友人の欧陽脩も李白を高く評価していました。詩中に「予 年 已に壮にして」とあるので、進士に及第して三年ほどたった三十歳ころの作品でしょう。仕事で太行山中にゆき、酒宴の席で披露した詩と思われます。
はじめに二句の序があり、自分の心境をのべます。「丈夫」は一人前の男。「少くして」はすでに三十歳になっているがまだ未熟という意味でしょう。つづく四句は政事改革がうまくすすまず、苛立つ気持ちを述べます。「案」は机、「敦敦」は惇とつうじ、手厚いという意味があります。くそ真面目という感じでしょう。書物を読むだけの毎日で、胸に「愁思」(憂い)が溜まって「和気」(なごやかな気分)を失うというのです。
対 酒 酒に対す (前半六句)
丈夫少也不富貴 丈夫(じょうふ) 少(わか)くして富貴(ふうき)ならず
胡顔奔走乎塵世 胡(なん)の顔(かんばせ)ありてか 塵世(じんせい)に奔走(ほんそう)せん
予年已壮志未行 予(よ) 年(とし) 已(すで)に壮(そう)にして 志 未(いま)だ行われず
案上敦敦考文字 案上(あんじょう) 敦敦(とんとん)として文字(もんじ)を考う
有時愁思不可掇 時有りて 愁思(しゅうし) 掇(と)る可(べ)からず
崢腹中失和気 崢(そうこう)たる腹中(ふくちゅう) 和気(わき)を失う
⊂訳⊃
ひとかどの男が いまだ未熟で裕福でもない
何の面目があって この世の役に立てようか
私はすでに三十歳 志を遂げることもできず
机に向かって 文字を追いかけているだけだ
時としてこの胸に 憂いが満ちて収拾できず
積もり積もって いらいらした気分になる
⊂ものがたり⊃ 蘇舜欽の本貫は李白と同じで、同郷人です。詩題「酒に対す」には李白とのつながりが感じられます。友人の欧陽脩も李白を高く評価していました。詩中に「予 年 已に壮にして」とあるので、進士に及第して三年ほどたった三十歳ころの作品でしょう。仕事で太行山中にゆき、酒宴の席で披露した詩と思われます。
はじめに二句の序があり、自分の心境をのべます。「丈夫」は一人前の男。「少くして」はすでに三十歳になっているがまだ未熟という意味でしょう。つづく四句は政事改革がうまくすすまず、苛立つ気持ちを述べます。「案」は机、「敦敦」は惇とつうじ、手厚いという意味があります。くそ真面目という感じでしょう。書物を読むだけの毎日で、胸に「愁思」(憂い)が溜まって「和気」(なごやかな気分)を失うというのです。