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ティェンタオの自由訳漢詩 2204

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 北宋29ー蘇舜欽
    往王順山値         王順山に往き
    暴雨雷霆           暴雨雷霆に値う        (前半六句)

  蒼崖六月陰気舒   蒼崖(そうがい)  六月(ろくげつ)  陰気舒(の)び
  一霪暴雨如縄粗   一霪(いちいん)の暴雨(ぼうう)   縄(なわ)の如く粗(そ)なり
  霹靂飛出大壑底   霹靂(へきれき)  飛び出(い)づ  大壑(たいがく)の底
  烈火黒霧相奔趨   烈火(れっか)   黒霧(こくむ)   相奔趨(あいほんすう)す
  人皆喘汗抱樹立   人  皆  喘汗(ぜんかん)  樹(き)を抱(いだ)いて立ち
  紫藤翠蔓皆焦枯   紫藤(しとう)  翠蔓(すいまん)  皆  焦枯(しょうこ)す

  ⊂訳⊃
          蒼く聳え立つ崖に  夏の六月  陰気がひろがる
          降りしきる雨は   太い荒縄のようだ
          雷鳴がとどろき   深い谷底に落ち
          激しい炎と煙が   一気にほとばしる
          人々は息を切らし  汗を流して木にしがみつき
          あたりの藤や蔓は  ことごとく焼け焦げる


 ⊂ものがたり⊃ 蘇舜欽(そしゅんきん:1008ー1049)は綿州塩泉(四川省綿陽市)の人。祖父の代から汴州(河南省開封市)にいたので汴州の人ともいいます。大中祥符元年(1008)、真宗の封禅が行われた年に生まれました。仁宗の景裕元年(1034)に二十七歳で進士に及第し、大理評事にすすみ、古文復興をとなえて詩文の改革につとめます。
 仁宗の康定元年(1040)のころ地震災害の対策で認められ、范仲淹の推薦で集賢校理、監進奏院になり、改革派の若手官僚として活躍します。しかし、直言がわざわいして官職を削られ、職を辞して平江(江蘇省蘇州市)にいって滄浪亭に閑居します。のちに赦されて湖州(浙江省呉興県)の長史になり、仁宗の皇裕元年(1049)に湖州で亡くなりました。享年四十二歳です。
 詩題中の「王順山」(おうじゅんざん)は藍田(陝西省藍田県)の西北にある山です。晩夏の六月、仲間と山歩きをしたときに嵐に遭遇しました。そのようすを詠います。はじめ六句の出だしから一気に本論にはいります。「一霪」は雨が一面に降りつづくさまで、すぐに「霹靂」(雷鳴)が轟いて谷底に落ち、火災が発生しました。豪快に一気に詠いこむ筆致には西崑派の詩を否定する勢いがあります。


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