北宋28ー梅堯臣
詩 癖 詩 癖
人間詩癖勝銭癖 人間(じんかん) 詩癖(しへき)は銭癖(せんぺき)に勝(まさ)る
捜索肝脾過幾春 肝脾(かんぴ)を捜索(そうさく)して 過ぐること幾春(いくしゅん)ぞ
嚢橐無嫌貧似旧 嚢橐(のうたく) 貧(ひん)の旧に似たるを嫌(いと)う無く
風騒有喜句多新 風騒(ふうそう) 句の新(あらた)なる多きを喜(この)む有り
但将苦意摩層宙 但(た)だ苦意(くい)を将(もっ)て層宙(そうちゅう)を摩(ま)せんとし
莫計終窮渉暮津 終(つい)に窮(きわ)まりて 暮津(ぼしん)を渉(わた)るを計ること莫(な)し
試看一生銅臭者 試みに看(み)よ 一生 銅臭(どうしゅう)の者
羨他登第亦何頻 他(そ)の登第(とうだい)を羨(うらや)むこと 亦(ま)た何ぞ頻(しき)りなる
⊂訳⊃
詩に熱中することは 金銭に執着するのにまさる
詩句に思いを巡らせ 幾年月が過ぎたことか
財布の中身が いつも貧しいのを苦にせず
詩句の新しいのを よしとした
苦心に苦心を重ね 自由の境地に至ろうとし
寂しい晩年の事は 考えもしなかった
見てごらん 出世のことばかり考えている者が
科挙に拘るさまの なんとはなはだしいことか
⊂ものがたり⊃ 詩題の「詩癖」(しへき)は詩に没頭する気質。病気で亡くなる前に作られ、みずからを語る詩です。「人間」は人の世、「銭癖」は金銭に執着する人。「肝脾を捜索して」はあれこれ思いを巡らすことで、詩作のことです。はじめの二句で自分の生涯を概観し、さらに詳しく述べます。
「嚢橐」は財布のこと、「風騒」は国風に代表される『詩経』と屈原の「離騒」に代表される楚辞のことで、あわせて詩文のことになります。貧乏もいとわずに詩句の新しさを追い求めてきたと言うのです。つぎの「苦意」は苦心と同義でしょう。「層宙」は重なる空、天空であり、苦心に苦心を重ねて天空のような自由な境地に達しようと努力したと詠います。
「暮津を渉る」は日暮れの渡津(渡し場)をとぼとぼ渡ることで、寂しい晩年の比喩です。そして最後の二句で、それでも悔いはないといいたいのでしょうが、屈託した思いも窺われます。
「銅臭の者」は金銭欲にまみれた者と解され、官僚の世界では出世のことになります。「登第」は科挙に及第すること。「羨他」の他は動詞について目的語を導き出す助字で、科挙及第を羨みほしがることの、といった感じになります。それがなんとはなはだしいことかと嘆くのです。科挙をへずに流入(任官)した自分の官途への思いも窺われる結びになっているとも解されます。
詩 癖 詩 癖
人間詩癖勝銭癖 人間(じんかん) 詩癖(しへき)は銭癖(せんぺき)に勝(まさ)る
捜索肝脾過幾春 肝脾(かんぴ)を捜索(そうさく)して 過ぐること幾春(いくしゅん)ぞ
嚢橐無嫌貧似旧 嚢橐(のうたく) 貧(ひん)の旧に似たるを嫌(いと)う無く
風騒有喜句多新 風騒(ふうそう) 句の新(あらた)なる多きを喜(この)む有り
但将苦意摩層宙 但(た)だ苦意(くい)を将(もっ)て層宙(そうちゅう)を摩(ま)せんとし
莫計終窮渉暮津 終(つい)に窮(きわ)まりて 暮津(ぼしん)を渉(わた)るを計ること莫(な)し
試看一生銅臭者 試みに看(み)よ 一生 銅臭(どうしゅう)の者
羨他登第亦何頻 他(そ)の登第(とうだい)を羨(うらや)むこと 亦(ま)た何ぞ頻(しき)りなる
⊂訳⊃
詩に熱中することは 金銭に執着するのにまさる
詩句に思いを巡らせ 幾年月が過ぎたことか
財布の中身が いつも貧しいのを苦にせず
詩句の新しいのを よしとした
苦心に苦心を重ね 自由の境地に至ろうとし
寂しい晩年の事は 考えもしなかった
見てごらん 出世のことばかり考えている者が
科挙に拘るさまの なんとはなはだしいことか
⊂ものがたり⊃ 詩題の「詩癖」(しへき)は詩に没頭する気質。病気で亡くなる前に作られ、みずからを語る詩です。「人間」は人の世、「銭癖」は金銭に執着する人。「肝脾を捜索して」はあれこれ思いを巡らすことで、詩作のことです。はじめの二句で自分の生涯を概観し、さらに詳しく述べます。
「嚢橐」は財布のこと、「風騒」は国風に代表される『詩経』と屈原の「離騒」に代表される楚辞のことで、あわせて詩文のことになります。貧乏もいとわずに詩句の新しさを追い求めてきたと言うのです。つぎの「苦意」は苦心と同義でしょう。「層宙」は重なる空、天空であり、苦心に苦心を重ねて天空のような自由な境地に達しようと努力したと詠います。
「暮津を渉る」は日暮れの渡津(渡し場)をとぼとぼ渡ることで、寂しい晩年の比喩です。そして最後の二句で、それでも悔いはないといいたいのでしょうが、屈託した思いも窺われます。
「銅臭の者」は金銭欲にまみれた者と解され、官僚の世界では出世のことになります。「登第」は科挙に及第すること。「羨他」の他は動詞について目的語を導き出す助字で、科挙及第を羨みほしがることの、といった感じになります。それがなんとはなはだしいことかと嘆くのです。科挙をへずに流入(任官)した自分の官途への思いも窺われる結びになっているとも解されます。