北宋25ー梅堯臣
蚯 蚓 蚯 蚓
蚯蚓在泥穴 蚯蚓(きゅういん) 泥穴(でいけつ)に在り
出縮常似盈 出縮(しゅつしゅく) 常に盈(み)つるに似たり
龍蟠亦以蟠 龍蟠(わだか)まれば 亦(ま)た以て蟠まり
龍鳴亦以鳴 龍(りゅう)鳴けば 亦た以て鳴く
自謂与龍比 自(みずか)ら謂(おも)う 龍と比(なら)ぶと
恨不頭角生 恨(うらむ)むらくは頭角(とうかく)の生(しょう)ぜざるを
螻蟈似相助 螻蟈(ろうかく) 相助(あいたす)くるに似て
草根無停声 草根(そうこん) 声を停(とど)むる無し
聒乱我不寐 聒乱(かつらん) 我(わ)れ寐(い)ねず
毎夕但欲明 毎夕(まいせき) 但(た)だ明(めい)を欲(ほっ)す
天地且容畜 天地(てんち) 且(か)つ容畜(ようちく)す
憎悪唯人情 憎悪するは唯(ただ) 人情(にんじょう)
⊂訳⊃
みみずは泥の穴に住み
出たり入ったり いつも満足しているようだ
龍がとぐろを巻けば みみずもとぐろを巻き
龍が鳴けば みみずも鳴く
龍の仲間の気でいるが
角の生えないのが残念だ
みみずの声に けらが調子をあわせ
草の根元で 鳴きつづける
その喧しさに 眠ることができず
わたしは毎晩 夜の明けるのを待ちわびる
だが 大いなる自然はみみずを受け入れ
憎しみを抱くのは 人の感情に過ぎない
⊂ものがたり⊃ 詩題の「蚯蚓」(きゅういん)はみみずのことです。詠物詩ですがこれまでにない主題を選び、強烈な風刺をこめています。はじめの二句は導入部で、みみずの生態を概観します。しかし、「出縮 常に盈つるに似たり」の盈は境遇に満足しているという意味で、はやくも擬人化がはじまっています。
つぎの四句はみみずの身の丈にあわない自意識を描くもので、能力もないのに皇帝の側近を自任している役人を皮肉るものでしょう。つぎの四句はみみずの鳴き声の話。実はみみずには発音部位がなく、「螻蟈」(けら)の鳴き声をみみずの声と考えていました。詩では「螻蟈 相助くるに似て」とけらが合唱していると書かれています。「聒乱」はやかましくて人の心を乱すこと。みみずとけらの合唱で眠ることができず、夜明けを待ちわびていると詠います。けらやみみずはつまらないものの喩えで、役所のつまらない人間の声がうるさくてたまらないと批判するのです。
結びの二句は言い過ぎを和らげるもの。「天地」(大自然・天子の暗示)はそんなみみずさえ受け入れているのだから、いたずらにみみずを憎悪するのは、「人情」(人の感情)に過ぎないと反省してみせます。筆禍に用心しながら大胆な比喩をもちい、西崑体の詩とは全く趣を異にする詩です。
蚯 蚓 蚯 蚓
蚯蚓在泥穴 蚯蚓(きゅういん) 泥穴(でいけつ)に在り
出縮常似盈 出縮(しゅつしゅく) 常に盈(み)つるに似たり
龍蟠亦以蟠 龍蟠(わだか)まれば 亦(ま)た以て蟠まり
龍鳴亦以鳴 龍(りゅう)鳴けば 亦た以て鳴く
自謂与龍比 自(みずか)ら謂(おも)う 龍と比(なら)ぶと
恨不頭角生 恨(うらむ)むらくは頭角(とうかく)の生(しょう)ぜざるを
螻蟈似相助 螻蟈(ろうかく) 相助(あいたす)くるに似て
草根無停声 草根(そうこん) 声を停(とど)むる無し
聒乱我不寐 聒乱(かつらん) 我(わ)れ寐(い)ねず
毎夕但欲明 毎夕(まいせき) 但(た)だ明(めい)を欲(ほっ)す
天地且容畜 天地(てんち) 且(か)つ容畜(ようちく)す
憎悪唯人情 憎悪するは唯(ただ) 人情(にんじょう)
⊂訳⊃
みみずは泥の穴に住み
出たり入ったり いつも満足しているようだ
龍がとぐろを巻けば みみずもとぐろを巻き
龍が鳴けば みみずも鳴く
龍の仲間の気でいるが
角の生えないのが残念だ
みみずの声に けらが調子をあわせ
草の根元で 鳴きつづける
その喧しさに 眠ることができず
わたしは毎晩 夜の明けるのを待ちわびる
だが 大いなる自然はみみずを受け入れ
憎しみを抱くのは 人の感情に過ぎない
⊂ものがたり⊃ 詩題の「蚯蚓」(きゅういん)はみみずのことです。詠物詩ですがこれまでにない主題を選び、強烈な風刺をこめています。はじめの二句は導入部で、みみずの生態を概観します。しかし、「出縮 常に盈つるに似たり」の盈は境遇に満足しているという意味で、はやくも擬人化がはじまっています。
つぎの四句はみみずの身の丈にあわない自意識を描くもので、能力もないのに皇帝の側近を自任している役人を皮肉るものでしょう。つぎの四句はみみずの鳴き声の話。実はみみずには発音部位がなく、「螻蟈」(けら)の鳴き声をみみずの声と考えていました。詩では「螻蟈 相助くるに似て」とけらが合唱していると書かれています。「聒乱」はやかましくて人の心を乱すこと。みみずとけらの合唱で眠ることができず、夜明けを待ちわびていると詠います。けらやみみずはつまらないものの喩えで、役所のつまらない人間の声がうるさくてたまらないと批判するのです。
結びの二句は言い過ぎを和らげるもの。「天地」(大自然・天子の暗示)はそんなみみずさえ受け入れているのだから、いたずらにみみずを憎悪するのは、「人情」(人の感情)に過ぎないと反省してみせます。筆禍に用心しながら大胆な比喩をもちい、西崑体の詩とは全く趣を異にする詩です。