北宋24ー梅堯臣
魯山山行 魯山の山行
適与野情愜 適(まさ)しく 野情(やじょう)と愜(かな)い
千山高復低 千山(せんざん) 高く復(ま)た低し
好峰随処改 好峰(こうほう) 随処(ずいしょ)に改まり
幽径独行迷 幽径(ゆうけい) 独り行きて迷う
霜落熊升樹 霜落ちて 熊 樹(き)に升(のぼ)り
林空鹿飲渓 林空しく 鹿 渓(たに)に飲む
人家在何許 人家(じんか) 何許(いずく)にか在る
雲外一声鶏 雲外(うんがい) 一声(いっせい)の鶏(けい)
⊂訳⊃
野山をい慕う心にぴったりだ
山は高く低くつらなっている
行くほどに 峰のかたちは姿を変え
奥深い径を ひとり歩けば迷いそうだ
霜が降ると 熊は木にのぼって実をとり
冬枯の林で 鹿は谷川の水を飲む
こんな山奥に 人家があるのかと見わたせば
雲のかなたに 一声高く鶏の声
⊂ものがたり⊃ 范仲淹の政事改革に参画しながら士大夫としての詩にめざめ、宋代の新しい詩を開くことになるのは梅堯臣(ばいぎょうしん)、蘇舜欽、欧陽脩です。
梅堯臣(1002ー1060)は宣州宛陵(安徽省宣城県)の人。真宗の咸平五年(1002)に生まれ、役人を出す家柄の出ではありませんでした。叔父が政府高官になったため、その恩蔭によって太廟の斎郎になります。科挙に及第しておらず、県の主簿や県令などを転々とします。詩名ははやくから聞こえ、仁宗の慶暦年間(1041ー1048)、四十歳を過ぎてから進士出身の資格を与えられました。
嘉祐二年(1057)に欧陽脩が知貢挙(省試の責任者)に任じられたとき、欧陽脩は梅堯臣を省試の参詳官に用いました。省試を通じて人材の発掘につとめ、そのなかに蘇軾もいました。そのご国子監直講などになりますが、仁宗の嘉祐五年(1060)、都で流行した疫病にかかって亡くなりました。享年五十九歳です。梅堯臣は後世「宋代一代の面目を聞く者は、梅堯臣、蘇舜欽にはじまる」と称せられます。
詩題の「魯山」は露山ともいい、河南省魯山県の北東にある山です。県令をしていた三十九歳のときの作品とされています。五言律詩、はじめの二句で「山行」(さんこう)の場を設定します。「野情」は自然を愛する心です。中四句で山中の景を描きますが、「幽径 独り行きて迷う」には孤独を嘆く気持ちがこめられているかも知れません。熊や鹿も人生をひとり行く身の比喩ともとれ、その孤独感が「雲外 一声の鶏」によって山中に人家のあることを知る喜びにつながるのでしょう。
魯山山行 魯山の山行
適与野情愜 適(まさ)しく 野情(やじょう)と愜(かな)い
千山高復低 千山(せんざん) 高く復(ま)た低し
好峰随処改 好峰(こうほう) 随処(ずいしょ)に改まり
幽径独行迷 幽径(ゆうけい) 独り行きて迷う
霜落熊升樹 霜落ちて 熊 樹(き)に升(のぼ)り
林空鹿飲渓 林空しく 鹿 渓(たに)に飲む
人家在何許 人家(じんか) 何許(いずく)にか在る
雲外一声鶏 雲外(うんがい) 一声(いっせい)の鶏(けい)
⊂訳⊃
野山をい慕う心にぴったりだ
山は高く低くつらなっている
行くほどに 峰のかたちは姿を変え
奥深い径を ひとり歩けば迷いそうだ
霜が降ると 熊は木にのぼって実をとり
冬枯の林で 鹿は谷川の水を飲む
こんな山奥に 人家があるのかと見わたせば
雲のかなたに 一声高く鶏の声
⊂ものがたり⊃ 范仲淹の政事改革に参画しながら士大夫としての詩にめざめ、宋代の新しい詩を開くことになるのは梅堯臣(ばいぎょうしん)、蘇舜欽、欧陽脩です。
梅堯臣(1002ー1060)は宣州宛陵(安徽省宣城県)の人。真宗の咸平五年(1002)に生まれ、役人を出す家柄の出ではありませんでした。叔父が政府高官になったため、その恩蔭によって太廟の斎郎になります。科挙に及第しておらず、県の主簿や県令などを転々とします。詩名ははやくから聞こえ、仁宗の慶暦年間(1041ー1048)、四十歳を過ぎてから進士出身の資格を与えられました。
嘉祐二年(1057)に欧陽脩が知貢挙(省試の責任者)に任じられたとき、欧陽脩は梅堯臣を省試の参詳官に用いました。省試を通じて人材の発掘につとめ、そのなかに蘇軾もいました。そのご国子監直講などになりますが、仁宗の嘉祐五年(1060)、都で流行した疫病にかかって亡くなりました。享年五十九歳です。梅堯臣は後世「宋代一代の面目を聞く者は、梅堯臣、蘇舜欽にはじまる」と称せられます。
詩題の「魯山」は露山ともいい、河南省魯山県の北東にある山です。県令をしていた三十九歳のときの作品とされています。五言律詩、はじめの二句で「山行」(さんこう)の場を設定します。「野情」は自然を愛する心です。中四句で山中の景を描きますが、「幽径 独り行きて迷う」には孤独を嘆く気持ちがこめられているかも知れません。熊や鹿も人生をひとり行く身の比喩ともとれ、その孤独感が「雲外 一声の鶏」によって山中に人家のあることを知る喜びにつながるのでしょう。