初唐11ー王勃
蜀中九日 蜀中九日
九月九日望郷台 九月九日 望郷台(ぼうきょうだい)
他席他郷送客杯 他席他郷 客を送る杯(はい)
人情已厭南中苦 人情 已(すで)に厭(いと)う 南中(なんちゅう)の苦(く)
鴻雁那従北地来 鴻雁(こうがん)那(なん)ぞ 北地(ほくち)より来たる
⊂訳⊃
重陽の節句に その名も望郷台
他郷の宴席で 送別の酒を飲む
南の土地に わたしは飽いてしまったのに
雁たちは 何で北から飛んでくるのか
⊂ものがたり⊃ 詩題に「蜀中」とあり、蜀に追放されてからの作品です。九月九日の重陽の節句に、誰かの送別宴に招かれたときの作品でしょう。「望郷台」という名の宴会の場所に望郷の思いをかけており、望郷台は玄武山にあったことが、のちに出てくる盧照粼(ろしょうりん)の詩で分かります。
なお、この詩は七言絶句を思わせますが、このころはまだ絶句の形式は整っておらず、前後に二つの対句を並べています。
蜀中九日 蜀中九日
九月九日望郷台 九月九日 望郷台(ぼうきょうだい)
他席他郷送客杯 他席他郷 客を送る杯(はい)
人情已厭南中苦 人情 已(すで)に厭(いと)う 南中(なんちゅう)の苦(く)
鴻雁那従北地来 鴻雁(こうがん)那(なん)ぞ 北地(ほくち)より来たる
⊂訳⊃
重陽の節句に その名も望郷台
他郷の宴席で 送別の酒を飲む
南の土地に わたしは飽いてしまったのに
雁たちは 何で北から飛んでくるのか
⊂ものがたり⊃ 詩題に「蜀中」とあり、蜀に追放されてからの作品です。九月九日の重陽の節句に、誰かの送別宴に招かれたときの作品でしょう。「望郷台」という名の宴会の場所に望郷の思いをかけており、望郷台は玄武山にあったことが、のちに出てくる盧照粼(ろしょうりん)の詩で分かります。
なお、この詩は七言絶句を思わせますが、このころはまだ絶句の形式は整っておらず、前後に二つの対句を並べています。