北宋20ー柳永
雨林鈴 雨林鈴 (下片八句)
多情自古傷離別 多情(たじょう) 古(いにしえ)より離別(りべつ)を傷(いた)む
更那堪冷落清秋節 更に那(なん)ぞ堪えん 冷落(れいらく)たる清秋(せいしゅう)の節(せつ)なるに
今宵酒醒何処 今宵(こんしょう) 酒(さけ)醒(さ)むるは何(いず)れの処ぞ
楊柳岸暁風残月 楊柳(ようりゅう)の岸 暁風(ぎょうふう) 残月(ざんげつ)
此去経年 此(これ)より去りて 年(とし)を経(ふ)れば
応是良辰好景虚設 応(まさ)に是(こ)れ 良辰(りょうしん)好景(こうけい)も空しく設(もう)くべし
便縦有千種風情 便(すなわ)ち縦(たと)い 千種(せんしゅ)の風情(ふじょう)有りとも
更与何人説 更(さら)に何人(なんびと)と説(かた)らんや
⊂訳⊃
古来感性豊かな者は 別れに胸を痛めてきた
まして今は 寂しい秋の季節 どうして堪えることができよう
今宵酒が醒めるのは どんなところか
楊柳の岸辺 夜明けの風 沈みゆく月
時は流れて 歳月が過ぎれば
よい季節 よい眺めも 虚しいものになるだろう
無数の風情が わたしの前に現れようと
いったいそれを 誰と語り合えばいいのか
⊂ものがたり⊃ 下片の前段四句は、重ねて離別の感懐を詠いあげるもので、「多情」は感情が豊かで感じやすい人の意味です。感性豊かな者は昔から別れに心を痛めてきたが、「冷落」(もの寂しい)の秋の別れには堪えがたいものがあると嘆きます。
ついで、今夜、酒も醒めて着くところはどんなところだろうかと自問し、「楊柳の岸 暁風 残月」と三つの景をぽんぽんと打ち出します。この一句は柳永畢生の名句と称されており、鮮明なイメージ語を投げだして感情を盛りあげる柳永独特の手法です。
つづく四句はまとめの感懐です。時は流れ、いろいろな「良辰好景」(よい季節よい眺め)に出会っても、それは虚しいものに過ぎないといい、なぜならそのことを語り合う君がいないからだと結びます。この結びは親友との別れに用いる場合が多いので、別れの相手が妓女でなくても通用する仕組みになっています。観客を意識した表現であると見ることができるでしょう。
雨林鈴 雨林鈴 (下片八句)
多情自古傷離別 多情(たじょう) 古(いにしえ)より離別(りべつ)を傷(いた)む
更那堪冷落清秋節 更に那(なん)ぞ堪えん 冷落(れいらく)たる清秋(せいしゅう)の節(せつ)なるに
今宵酒醒何処 今宵(こんしょう) 酒(さけ)醒(さ)むるは何(いず)れの処ぞ
楊柳岸暁風残月 楊柳(ようりゅう)の岸 暁風(ぎょうふう) 残月(ざんげつ)
此去経年 此(これ)より去りて 年(とし)を経(ふ)れば
応是良辰好景虚設 応(まさ)に是(こ)れ 良辰(りょうしん)好景(こうけい)も空しく設(もう)くべし
便縦有千種風情 便(すなわ)ち縦(たと)い 千種(せんしゅ)の風情(ふじょう)有りとも
更与何人説 更(さら)に何人(なんびと)と説(かた)らんや
⊂訳⊃
古来感性豊かな者は 別れに胸を痛めてきた
まして今は 寂しい秋の季節 どうして堪えることができよう
今宵酒が醒めるのは どんなところか
楊柳の岸辺 夜明けの風 沈みゆく月
時は流れて 歳月が過ぎれば
よい季節 よい眺めも 虚しいものになるだろう
無数の風情が わたしの前に現れようと
いったいそれを 誰と語り合えばいいのか
⊂ものがたり⊃ 下片の前段四句は、重ねて離別の感懐を詠いあげるもので、「多情」は感情が豊かで感じやすい人の意味です。感性豊かな者は昔から別れに心を痛めてきたが、「冷落」(もの寂しい)の秋の別れには堪えがたいものがあると嘆きます。
ついで、今夜、酒も醒めて着くところはどんなところだろうかと自問し、「楊柳の岸 暁風 残月」と三つの景をぽんぽんと打ち出します。この一句は柳永畢生の名句と称されており、鮮明なイメージ語を投げだして感情を盛りあげる柳永独特の手法です。
つづく四句はまとめの感懐です。時は流れ、いろいろな「良辰好景」(よい季節よい眺め)に出会っても、それは虚しいものに過ぎないといい、なぜならそのことを語り合う君がいないからだと結びます。この結びは親友との別れに用いる場合が多いので、別れの相手が妓女でなくても通用する仕組みになっています。観客を意識した表現であると見ることができるでしょう。