北宋18ー晏殊
寓 意 意を寓す
油壁香車不再逄 油壁(ゆへき)の香車(こうしゃ) 再び逄(あ)わず
峡雲無迹任西東 峡雲(きょううん) 迹(あと)無くして 西東(せいとう)に任(まか)す
梨花院落溶溶月 梨花(りか) 院落(いんらく) 溶溶(ようよう)の月
柳絮池塘淡淡風 柳絮(りゅうじょ) 池塘(ちとう) 淡淡(たんたん)の風
幾日寂寥傷酒後 幾日の寂寥(せきりょう) 傷酒(しょうしゅ)の後(のち)
一番蕭索禁煙中 一番の蕭索(しょうさく) 禁煙(きんえん)の中(うち)
魚書欲寄何由達 魚書(ぎょしょ) 寄せんと欲するも 何に由(よ)ってか達せん
水遠山長処処同 水遠(すいえん) 山長(さんちょう) 処処(しょしょ)同じ
⊂訳⊃
美しい油壁の馬車は もうここへはこない
巫山の仙女のように どこかへいってしまった
梨の花咲く中庭に 降りそそぐ月あかり
柳絮の舞う池の堤に そよ吹く風
やけ酒のあと 侘びしく過ごした日は幾日か
寒食節だから いっそう味気ない
便りを出そうと思うが それもできず
川は流れ 山は連なり どこもかしこも眺めはおなじ
⊂ものがたり⊃ 晏殊(あんしゅ:991ー1055)は撫州臨川(江西省撫州市臨川県)の人。太宗の淳化二年に生まれ、神童とうたわれました。真宗の殿試に推薦されて進士の資格を与えられ、秘書省正字になります。累進して吏部侍郎になり、枢密副使をへて同中書門下平章事(宰相)になります。位人身を極めたといってよく、仁宗の至和二年(1055)に亡くなります。享年六十五歳です。
晏殊は西崑派の詩人よりも遅れて出て来ますので西崑派には属しませんが、西崑派の詩風を引きつぐ詩人です。詩題に「意を寓す」とあるのは、失恋の歎きを詠いながら裏になにか隠されているものがあるのかもしれません。
はじめの二句は故事を借りて失恋を述べます。「油壁の香車」は壁を油脂で塗った馬車のことですが、昔の有名な妓女蘇小小(そしょうしょう)の乗物でした。「峡雲」は長江三峡の雲のことで、巫山の神女伝説を踏まえています。いずれも唐代に詩に詠われた美女で、いまは会えない死者と行方不明の神女です。
中四句では女性と別れたあとの落胆、寂しさを述べます。はじめの対句の「梨花」は白居易の「長恨歌」で楊貴妃に喩えられており、なにを見ても以前そこにいた女性を思い出すと、楊貴妃を失ったあとの玄宗皇帝の寂しさに擬すのです。
つぎの対句は現実の自分にもどります。「傷酒」は失恋のやけ酒を飲み過ぎて体を壊したということ。さらにいまは「禁煙」(寒食節で火を使えない)ので、いっそう味気ない気持ちであると詠います。寒食節は陰暦三月の行事ですので、晩春の季節を示しています。
最後の二句は結びで、「魚書」(手紙)を出そうと思うけれどそれも叶えられないと呟きながら、「水遠 山長 処処同じ」と嘆いておわります。失恋の詩といってもはなはだ技巧的で現実味にとぼしい作品です。
寓 意 意を寓す
油壁香車不再逄 油壁(ゆへき)の香車(こうしゃ) 再び逄(あ)わず
峡雲無迹任西東 峡雲(きょううん) 迹(あと)無くして 西東(せいとう)に任(まか)す
梨花院落溶溶月 梨花(りか) 院落(いんらく) 溶溶(ようよう)の月
柳絮池塘淡淡風 柳絮(りゅうじょ) 池塘(ちとう) 淡淡(たんたん)の風
幾日寂寥傷酒後 幾日の寂寥(せきりょう) 傷酒(しょうしゅ)の後(のち)
一番蕭索禁煙中 一番の蕭索(しょうさく) 禁煙(きんえん)の中(うち)
魚書欲寄何由達 魚書(ぎょしょ) 寄せんと欲するも 何に由(よ)ってか達せん
水遠山長処処同 水遠(すいえん) 山長(さんちょう) 処処(しょしょ)同じ
⊂訳⊃
美しい油壁の馬車は もうここへはこない
巫山の仙女のように どこかへいってしまった
梨の花咲く中庭に 降りそそぐ月あかり
柳絮の舞う池の堤に そよ吹く風
やけ酒のあと 侘びしく過ごした日は幾日か
寒食節だから いっそう味気ない
便りを出そうと思うが それもできず
川は流れ 山は連なり どこもかしこも眺めはおなじ
⊂ものがたり⊃ 晏殊(あんしゅ:991ー1055)は撫州臨川(江西省撫州市臨川県)の人。太宗の淳化二年に生まれ、神童とうたわれました。真宗の殿試に推薦されて進士の資格を与えられ、秘書省正字になります。累進して吏部侍郎になり、枢密副使をへて同中書門下平章事(宰相)になります。位人身を極めたといってよく、仁宗の至和二年(1055)に亡くなります。享年六十五歳です。
晏殊は西崑派の詩人よりも遅れて出て来ますので西崑派には属しませんが、西崑派の詩風を引きつぐ詩人です。詩題に「意を寓す」とあるのは、失恋の歎きを詠いながら裏になにか隠されているものがあるのかもしれません。
はじめの二句は故事を借りて失恋を述べます。「油壁の香車」は壁を油脂で塗った馬車のことですが、昔の有名な妓女蘇小小(そしょうしょう)の乗物でした。「峡雲」は長江三峡の雲のことで、巫山の神女伝説を踏まえています。いずれも唐代に詩に詠われた美女で、いまは会えない死者と行方不明の神女です。
中四句では女性と別れたあとの落胆、寂しさを述べます。はじめの対句の「梨花」は白居易の「長恨歌」で楊貴妃に喩えられており、なにを見ても以前そこにいた女性を思い出すと、楊貴妃を失ったあとの玄宗皇帝の寂しさに擬すのです。
つぎの対句は現実の自分にもどります。「傷酒」は失恋のやけ酒を飲み過ぎて体を壊したということ。さらにいまは「禁煙」(寒食節で火を使えない)ので、いっそう味気ない気持ちであると詠います。寒食節は陰暦三月の行事ですので、晩春の季節を示しています。
最後の二句は結びで、「魚書」(手紙)を出そうと思うけれどそれも叶えられないと呟きながら、「水遠 山長 処処同じ」と嘆いておわります。失恋の詩といってもはなはだ技巧的で現実味にとぼしい作品です。