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ティェンタオの自由訳漢詩 1869

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 初唐9ー王勃
    詠風              風を詠む

  肅肅涼景生     肅肅(しゅくしゅく)として涼景(りょうけい)生じ
  加我林壑清     我(わ)が林壑(りんがく)に清きを加う
  駆煙尋礀戸     煙を駆(か)りて礀戸(かんこ)を尋ね
  巻霧出山楹     霧を巻いて山楹(さんえい)に出(い)づ
  去来固無跡     去来(きょらい)  固(もと)より跡(あと)無く
  動息如有情     動息(どうそく)  情(じょう)有るが如し
  日落山水静     日(ひ)落ちて山水(さんすい)静まり
  為君起松声     君が為に松声(しょうせい)を起こす

  ⊂訳⊃
          秋の気配は  厳しさを増し
          林や谷間は  いちだんと清らかになる
          靄を払って  風は谷間の家に吹き
          霧を巻いて  尾根に出る
          吹く風は    さまざまに姿を変え
          風に心が   あるように吹く
          日が落ちて  あたりが静かになると
          松風の音が  君の心を癒してくれる


 ⊂ものがたり⊃ 廃后事件によって太宗以来の旧臣の多くを流罪に処した武后は権力を強め、高宗は在って無きがごとき存在になります。宮廷では南朝風の詩が作られていましたが、新味のあるものはなく、むしろ宮廷の出世コースから外れた者の作品に新しい詩の芽生えがありました。
 王勃・煬炯・盧照粼・洛賓王は後世「初唐の四桀」と称されています。
 王勃(650?ー676?)は絳州龍門(山西省河津県)の人。隋末の儒者王建の孫で、高宗の永徽元年(650)ころに生まれました。若くして天才の誉れが高く、二十歳足らずで都に召され、沛王(はいおう)に仕えました。ところが、当時、宮廷で流行っていた闘鶏を批判して高宗の怒りを買い、追放されて蜀地を放浪するはめになります。
 今回掲げた詩は詠物詩の傑作として知られています。題に「風を詠む」とあるだけで、詩中に風という語はひとつも使わずに風の諸相を描き切っています。はじめの二句で秋の清涼さを詠って場を設定し、あとはすべて風のことです。
 五句目の「跡無く」は形のないものがさまざまに変化することで、その息づかいは風に心があるようだと詠います。詠物詩は宴会の席などで披露するものですから、蜀に追放される前の若いころの作品でしょう。

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