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ティェンタオの自由訳漢詩 1868

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 初唐8ー郭震
   子夜春歌            子夜春歌

  陌頭楊柳枝     陌頭(はくとう)  楊柳(ようりゅう)の枝
  已被春風吹     已(すで)に春風(しゅんぷう)に吹かる
  妾心正断絶     妾(しょう)が心  正(まさ)に断絶(だんぜつ)す
  君懐那得知     君が懐(おも)い 那(なん)ぞ知るを得(え)ん

  ⊂訳⊃
          道のほとりの柳の枝も

          春風に吹かれて揺れている

          それを見ると  わたしの心はつぶれそう

          あなたの気持ちがわからないから


 ⊂ものがたり⊃ 郭震(かくしん)は生没年、経歴不詳ですが、南朝民歌風の詩を残しています。町娘になりかわって恋心を詠うもので、高宗時代の平和な雰囲気を伝えるものでしょう。
 平和と言っても高宗の時代、高句麗との戦争が十年以上もつづいていました。唐が新羅と連携して百済を滅ぼすと、倭(大和政権)は百済の再興を支援して水軍を派遣しました。龍朔三年(663)九月、唐と新羅の連合軍は白村口(白村江)で倭の水軍と戦い、全滅させます。
 翌麟徳元年(664)、武后が道士を宮中に出入りさせて厭勝(えんしょう)を行っているという噂が広がりました。怒った高宗は武后を廃位にしようとしますが、武后の知るとろとなり、事は頓挫します。
 このとき上官儀は高宗の命を受けて廃后の詔勅の起草をしていました。そのため陰謀の罪に問われて死刑に処せられ、家族は宮廷の奴隷に貶されます。
 

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