北宋3ー李
虞美人 虞美人
春花秋月何時了 春花(しゅんか) 秋月(しゅうげつ) 何(いず)れの時にか了(おわ)らん
往時知多少 往時(おうじ) 知(し)んぬ 多少(たしょう)ぞ
小楼昨夜又東風 小楼 昨夜 又(ま)た東風(とうふう)
故国不堪回首月明中 故国 首(こうべ)を回(めぐ)らすに堪えず 月明(げつめい)の中(うち)
雕欄玉砌依然在 雕欄(ちょうらん) 玉砌(ぎょくせい) 依然(いぜん)として在り
只是朱顔改 只(た)だ是(こ)れ 朱顔(しゅがん)のみ改まる
問君都有幾多愁 君(きみ)に問う 都(すべ)て幾多の愁い有りやと
恰似一江春水向東流 恰(あたか)も似たり 一江(いっこう)の春水(しゅんすい)の東に向かって流るるに
⊂訳⊃
春の花や秋の月は 変わることなくつづいていく
私はこれまで どれほどの経験をしたことか
小さな高楼に 昨夜また東の風が吹き
月明りのなか 故国をふりかえるのは辛いことだ
豪華な欄干玉の階 宮殿はいまもそのままあるだろう
変わり果てたのは 若かったかつての私の容貌だけだ
お前はいったい どれほどの悲しみを抱えているのか
それはあたかも 長江の春水が東へ流れつづけるのに似ている
⊂ものがたり⊃ 詩題の「虞美人」(ぐびじん)は曲名で、項羽の寵妃虞美人の故事を歌った歌曲です。詞は上片と下片に分かれ、同じ曲で歌います。注目すべきは、上片で「往時 知んぬ 多少ぞ」と作者自身がこれまでに経験したことはどれくらいであったろうか、いろいろなことがあったと自分のことを回想していることです。そして「首を回らすに堪えず」と、滅んでしまった故国南唐のこと、つまりみずからの亡国の嘆きを詞にしていることです。
下片のはじめ二句では唐都金陵の豪華な宮殿はいまもそのまま残っているだろうか、私の「朱顔」(若々しい容貌)だけがこのように変わり果ててしまったと顧みます。最後の二句は自問自答で、自分が抱え込んでしまった悲しみを春になって水かさの増した長江が東へ東へと流れつづけるのに喩えます。
閨怨詩にしろ艷詞にしろ、これまでは男性が女性になりかわって詠う想像の詩でした。それが李の詞では自分自身の運命への嘆きに変化しています。このことは詞の主題が一歩前に進んだことを意味しています。
虞美人 虞美人
春花秋月何時了 春花(しゅんか) 秋月(しゅうげつ) 何(いず)れの時にか了(おわ)らん
往時知多少 往時(おうじ) 知(し)んぬ 多少(たしょう)ぞ
小楼昨夜又東風 小楼 昨夜 又(ま)た東風(とうふう)
故国不堪回首月明中 故国 首(こうべ)を回(めぐ)らすに堪えず 月明(げつめい)の中(うち)
雕欄玉砌依然在 雕欄(ちょうらん) 玉砌(ぎょくせい) 依然(いぜん)として在り
只是朱顔改 只(た)だ是(こ)れ 朱顔(しゅがん)のみ改まる
問君都有幾多愁 君(きみ)に問う 都(すべ)て幾多の愁い有りやと
恰似一江春水向東流 恰(あたか)も似たり 一江(いっこう)の春水(しゅんすい)の東に向かって流るるに
⊂訳⊃
春の花や秋の月は 変わることなくつづいていく
私はこれまで どれほどの経験をしたことか
小さな高楼に 昨夜また東の風が吹き
月明りのなか 故国をふりかえるのは辛いことだ
豪華な欄干玉の階 宮殿はいまもそのままあるだろう
変わり果てたのは 若かったかつての私の容貌だけだ
お前はいったい どれほどの悲しみを抱えているのか
それはあたかも 長江の春水が東へ流れつづけるのに似ている
⊂ものがたり⊃ 詩題の「虞美人」(ぐびじん)は曲名で、項羽の寵妃虞美人の故事を歌った歌曲です。詞は上片と下片に分かれ、同じ曲で歌います。注目すべきは、上片で「往時 知んぬ 多少ぞ」と作者自身がこれまでに経験したことはどれくらいであったろうか、いろいろなことがあったと自分のことを回想していることです。そして「首を回らすに堪えず」と、滅んでしまった故国南唐のこと、つまりみずからの亡国の嘆きを詞にしていることです。
下片のはじめ二句では唐都金陵の豪華な宮殿はいまもそのまま残っているだろうか、私の「朱顔」(若々しい容貌)だけがこのように変わり果ててしまったと顧みます。最後の二句は自問自答で、自分が抱え込んでしまった悲しみを春になって水かさの増した長江が東へ東へと流れつづけるのに喩えます。
閨怨詩にしろ艷詞にしろ、これまでは男性が女性になりかわって詠う想像の詩でした。それが李の詞では自分自身の運命への嘆きに変化しています。このことは詞の主題が一歩前に進んだことを意味しています。