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ティェンタオの自由訳漢詩 2171

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 晩唐42ー韓偓
     詠浴                浴を詠ず

  再整魚犀攏翠簪   再び魚犀(ぎょさい)を整え  翠簪(すいしん)を攏(よせあつ)め
  解衣先覚冷森森   衣(ころも)を解けば  先ず覚ゆ冷森森(れいしんしん)たるを
  教移蘭燭頻羞影   蘭燭(らんしょく)を移さしめて 頻(しき)りに影を羞(は)じ
  自試香湯更怕深   自ら香湯(こうゆ)を試して   更に深きを怕(おそ)る
  初似洗花難抑按   初めは花を洗って  抑按(おさ)え難(がた)きに似たり
  終憂沃雪不勝任   終(つい)には雪に沃(そそ)いで  勝任(たえ)ざるを憂う
  豈知侍女簾帷外   豈(あ)に知らんや  侍女  簾帷(れんい)の外(そと)にて
  賸取君王幾餅金   賸(おお)く君王の幾餅(いくへい)の金(きん)を取りしを

  ⊂訳⊃
          犀角の笄を直し  翡翠の簪をはずして纏め
          着衣を脱げば   ぞっとした寒さを感じる
          蘭麝の香の蝋燭  はだかの影に顔を赤らめ
          香の湯に触れば  なんとなく深さがこわい
          顔を洗うときは   抑えきれない喜びを感じ
          肌に湯を注げば  融けてしまわないかと心配する
          まさか侍女が   沢山の金貨を天子様から頂いて
          すだれの外で   覗き見の手引をしていようとは


 ⊂ものがたり⊃ 韓偓(かんあく:842?ー923?)は京兆万年(陝西省西安市)の人。父親は李商隠と同年の進士で、姻戚関係でした。黄巣の乱がはじまった乾符二年(875)には三十四歳くらい。昭宗の龍紀元年(889)に四十八歳くらいで進士に及第し、翰林学士から中書舎人、兵部侍郎に累進します。
 しかし、ときの権力者朱全忠(しゅぜんちゅう)に疎まれ、昭宗の天復三年(903)、濮州(河南省范県)司馬に左遷されます。翌年、職を辞して湖南にゆき、さらに福建に移って流浪の生活を送ります。唐の滅亡後は閩地(福建省一帯)の知人のもとに身を寄せ、生涯を終えたといいます。亡くなったのは唐の滅亡後十六年たった同光四年(923)ころで、享年八十二歳くらいです。この年、朱全忠の梁(後梁)は滅び、長安の政権は唐(後唐)に移りました。
 韓偓には艷詩を集めた詩集『香奩集』(こうれんしゅう)があり、後世、この詩体を香奩体というようになります。香奩とは化粧箱のことです。李商隠の若いころの「無題」詩を一歩すすめ、艷情の描写は細密で絵画的、遊戯的になります。
 詩題は「浴(ゆあみ)を詠ず」。はじめの二句は入浴の準備です。「魚犀」は魚の模様のある犀角の笄(こうがい)のことで、笄は束ねた髪を止めるものですから洗髪をしない場合は止めておきます。「翠簪」は翡翠の簪(かんざし)で、簪は髪飾りの類ですから入浴のときははずして纏めておきます。
 中四句は入浴の模様です。浴場には「蘭燭」(蘭麝の香をいれた蝋燭)が灯してあり、蝋燭の光で裸の影が浴室の壁に映ります。それを羞ずかしいと思うのです。「香湯」は香水を混ぜた湯。深くはないかと怖がるところをみると、はじめてはいる浴槽のようです。つぎの二句は「洗花」「沃雪」と対になっており、顔を洗い雪のような白い肌に湯をそそぐのです。結びの二句は落ちで、侍女が手引きして天子が覗き見をするという芝居がかったものになっており、唐末の頽廃的な詩風をしめしています。

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