晩唐35ー釋貫休
春晩書山家屋壁 春晩 山家の屋壁に書す
柴門寂寂黍飯馨 柴門(さいもん) 寂寂(せきせき)として黍飯(しょはん)馨(かぐわ)し
山家煙火春雨晴 山家(さんか)の煙火(えんか) 春雨(しゅんう)晴る
庭花濛濛水冷冷 庭花(ていか)濛濛(もうもう)として水は冷冷(れいれい)
小児啼索樹上鶯 小児(しょうじ)啼きて索(もと)む 樹上(じゅじょう)の鶯
⊂訳⊃
寂しげに立つ柴の門 炊いたばかりの黍御飯
春の山里に雨は晴れ 炊煙が立ち昇る
庭には花が咲き揃い 水は清らかに流れ
子供は啼き声をまね 枝の鶯を呼びよせる
⊂ものがたり⊃ 釋貫休(しゃくかんきゅう:832ー912)は婺州蘭渓(浙江省東陽県)の人。姜姓、字(あざな)は徳隠といいます。七歳で出家し、読書を好み、詩・書・画にすぐれていました。杭州の霊隠寺に住み、黄巣の乱が始まった乾符二年(875)に四十四歳になっていました。
昭宗の天復年間(901ー904)に蜀の王建(おうけん)に招かれて成都に移ります。唐の滅亡後五年をへた蜀(前蜀)の永平二年(912)に亡くなり、享年七十七歳でした。
詩題に「山家の屋壁(おくへき)に書す」とあるので、春の山里の日暮れの景を詠って家の壁に書きつけたのです。七言絶句の四句中に「寂寂」「濛濛」「冷冷」と三度も畳字をもちい、明快かつ重厚な詩情を醸し出しています。
「黍飯馨し」は炊き立ての黍飯(きびめし)が門のあたりまでよい香りを漂わせていたのであり、動乱の時代にも静かな山里の暮らしがありました。動乱のなかだからこそ、山里の平和な暮らしに感動したともいえます。七言絶句の佳作といえるでしょう。
春晩書山家屋壁 春晩 山家の屋壁に書す
柴門寂寂黍飯馨 柴門(さいもん) 寂寂(せきせき)として黍飯(しょはん)馨(かぐわ)し
山家煙火春雨晴 山家(さんか)の煙火(えんか) 春雨(しゅんう)晴る
庭花濛濛水冷冷 庭花(ていか)濛濛(もうもう)として水は冷冷(れいれい)
小児啼索樹上鶯 小児(しょうじ)啼きて索(もと)む 樹上(じゅじょう)の鶯
⊂訳⊃
寂しげに立つ柴の門 炊いたばかりの黍御飯
春の山里に雨は晴れ 炊煙が立ち昇る
庭には花が咲き揃い 水は清らかに流れ
子供は啼き声をまね 枝の鶯を呼びよせる
⊂ものがたり⊃ 釋貫休(しゃくかんきゅう:832ー912)は婺州蘭渓(浙江省東陽県)の人。姜姓、字(あざな)は徳隠といいます。七歳で出家し、読書を好み、詩・書・画にすぐれていました。杭州の霊隠寺に住み、黄巣の乱が始まった乾符二年(875)に四十四歳になっていました。
昭宗の天復年間(901ー904)に蜀の王建(おうけん)に招かれて成都に移ります。唐の滅亡後五年をへた蜀(前蜀)の永平二年(912)に亡くなり、享年七十七歳でした。
詩題に「山家の屋壁(おくへき)に書す」とあるので、春の山里の日暮れの景を詠って家の壁に書きつけたのです。七言絶句の四句中に「寂寂」「濛濛」「冷冷」と三度も畳字をもちい、明快かつ重厚な詩情を醸し出しています。
「黍飯馨し」は炊き立ての黍飯(きびめし)が門のあたりまでよい香りを漂わせていたのであり、動乱の時代にも静かな山里の暮らしがありました。動乱のなかだからこそ、山里の平和な暮らしに感動したともいえます。七言絶句の佳作といえるでしょう。