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ティェンタオの自由訳漢詩 2152

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 晩唐23ー皮日休
   橡媼嘆             橡媼の嘆き (前八句)

  秋深橡子熟     秋深くして  橡子(しょうし)熟(じゅく)し
  散落榛蕪崗     散落(さんらく)す  榛蕪(しんぶ)の崗(おか)
  傴傴黄髪媼     傴傴(くく)たり    黄髪(こうはつ)の媼(おうな)
  拾之践晨霜     之(こ)れを拾って  晨霜(しんそう)を践(ふ)む
  移時始盈掬     時を移して   始めて掬(きく)に盈(み)ち
  尽日方満筺     日を尽くして  方(まさ)に筺(かご)に満つ
  幾曝復幾蒸     幾たびか曝(さら)し  復(ま)た幾たびか蒸す
  用作三冬糧     用(もつ)て三冬(さんとう)の糧(かて)と作(な)す

  ⊂訳⊃
          秋が深まり   橡の実が熟すると
          荒れた岡に   ぱらぱら落ちる
          腰の曲がった  白髪の老婆が
          朝露を踏んで  橡の実をひろう
          時間をかけて  手のひらで掬うほど
          一日がかりで  ようやく籠に一杯になる
          幾日も乾し   幾度も蒸して
          ようやく     冬の食糧となるのだ


 ⊂ものがたり⊃ 羅隠と同時代に生きた異色の詩人に皮日休、陸亀蒙があり、諷諭詩を書きます。聶夷中や杜荀鶴も当時の悪政を批判する詩を書きますが、やがて晩唐詩の主流は、七言絶句の典雅な様式のなかに乱世の苦悩や心情を盛りこむ方向に回帰してゆきます。
 皮日休(ひじつきゅう:841?ー883?)は襄陽(湖北省襄樊市)の人。若くして鹿門山に隠れ隠士の風がありました。懿宗の咸通八年(867)、二十七歳のころ進士に及第し、白居易の新楽府に倣って「正楽府」十首などの諷諭詩を書きました。
 皮日休は若いころからの酒豪で、酒の詩もたくさん作っています。咸通十年(869)に蘇州刺史崔璞(さいはく)の幕僚になって三年あまり蘇州に滞在したことがあります。そのころ故郷の甫里に隠退していた陸亀蒙と交わり、唱和の詩をのこしています。
 そのご著作郎などを歴任して咸通年間に太常博士になりますが、黄巣の乱に遭って呉中(蘇州市)に帰っていたところを黄巣軍に従わさせられ、長安に連れていかれました。黄巣政府の翰林学士に任じられ、乱中に消息不明になります。黄巣の怒りを買って殺されたとも、中和三年(883)ころ亡くなったともいいます。享年四十三歳くらいです。
 詩題の「橡媼」(しょうおう)の橡の実は飢救食物で、飢えて木の実を拾う媼(老婆)の嘆きを詠います。橡の実は栗に似てやや小さく、食べられるようにするのに手間がかかります。長時間水にさらし、灰汁で煮るなどして渋抜きをする必要があります。はじめ八句の「榛蕪」は雑草の茂る荒れた林のことです。その岡で橡の実を拾う老婆が描かれ、終わりの二句で拾った実を食糧にするための手間が描かれます。

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