晩唐17ー羅隠
蜂 蜂
不論平地与山尖 論(ろん)ぜず 平地と山尖(さんせん)とを
無限風光尽被占 無限の風光(ふうこう) 尽(ことごと)く占めらる
采得百花成蜜後 百花を采(と)り得て 蜜(みつ)を成すの後(のち)
為誰辛苦為誰甜 誰(た)が為に辛苦し 誰が為に甜(あま)からしむ
⊂訳⊃
平地であろうと 山であろうと
見わたす限りは ことごとく蜂のもの
あらゆる花を飛びまわり 蜜を集める
いったい誰のために働き 甘い汁を誰に飲ませるのか
⊂ものがたり⊃ 宣宗の大中年間は無為無策の時代でした。杜牧が亡くなった六年後の大中十二年(858)に李商隠が亡くなります。その前年ころから江南で藩鎮の兵乱が起きていました。兵の反乱は待遇への不満が原因でしたが、大中十三年(859)に浙東藩鎮の海岸地帯で裘甫(きゅうほ)の乱が発生します。その年八月、宣宗が崩じ、懿宗が即位します。
裘甫の乱の九年後、咸通九年(868)に龐(ほうくん)の乱が発生します。桂州(広西壮族自治区桂林市)にはじまった兵乱は、湖南をへて徐州(江蘇省徐州市)に達し、盗賊や農民を巻き込んだ民衆蜂起に拡大します。こうした時期に異色の詩人羅隠(らいん)があらわれます。
羅隠(833ー909)は余杭(浙江省杭州市)の人とも新登(浙江省桐廬県)の人ともいいます。咸通元年(860)、二十八歳のころ長安に出て進士に挑みますが、時世を諷刺し権貴に逆らう風があり、落第しつづけます。藩鎮の乱から黄巣の大乱となる時期で、乱のために科挙が中止になる年もありました。
僖宗の中和四年(884)、羅隠が五十二歳のとき黄巣の乱は終わりを告げますが、唐朝の権威は地に落ちてしまいます。羅隠は乱のあいだ湖南その他を漂泊し、妻も身よりも死に果てたといいます。
乱後の光啓年間(885ー887)に鎮海軍節度使銭鏐(せんりょう)をたより、その推薦で銭塘(浙江省杭州市)の県令になります。著作郎、司部員外郎などをへて鎮海軍節度掌書記になりますが、天祐四年(907)、七十五歳のとき、唐が滅んでしまいました。銭鏐が呉越国を建てて呉王になると、羅隠は呉越国の給事中になり、呉越の天宝二年(909)、塩鉄発運使のときに亡くなります。享年七十七歳です。
詩「蜂」は詠物詩ですが、蜂を借りた諷刺詩です。せっせと蜜を集める蜂を借りて諷諭しているのは何かについては議論があります。後半の転句からなりふり構わずに金儲けに励む人、また結句から人を働かせて自分は働かずに楽な暮らしをする人などの説があります。
承句の「無限の風光 尽く占めらる」に着目すれば、天下にはびこってあらゆるところから税を集める役人と税金で安楽な暮らしをしている政府高官を風刺していると見ることもできます。羅隠の詩風は幅広く、諷諭詩を書くかと思えば人生の機微に触れる詩もかきました。
蜂 蜂
不論平地与山尖 論(ろん)ぜず 平地と山尖(さんせん)とを
無限風光尽被占 無限の風光(ふうこう) 尽(ことごと)く占めらる
采得百花成蜜後 百花を采(と)り得て 蜜(みつ)を成すの後(のち)
為誰辛苦為誰甜 誰(た)が為に辛苦し 誰が為に甜(あま)からしむ
⊂訳⊃
平地であろうと 山であろうと
見わたす限りは ことごとく蜂のもの
あらゆる花を飛びまわり 蜜を集める
いったい誰のために働き 甘い汁を誰に飲ませるのか
⊂ものがたり⊃ 宣宗の大中年間は無為無策の時代でした。杜牧が亡くなった六年後の大中十二年(858)に李商隠が亡くなります。その前年ころから江南で藩鎮の兵乱が起きていました。兵の反乱は待遇への不満が原因でしたが、大中十三年(859)に浙東藩鎮の海岸地帯で裘甫(きゅうほ)の乱が発生します。その年八月、宣宗が崩じ、懿宗が即位します。
裘甫の乱の九年後、咸通九年(868)に龐(ほうくん)の乱が発生します。桂州(広西壮族自治区桂林市)にはじまった兵乱は、湖南をへて徐州(江蘇省徐州市)に達し、盗賊や農民を巻き込んだ民衆蜂起に拡大します。こうした時期に異色の詩人羅隠(らいん)があらわれます。
羅隠(833ー909)は余杭(浙江省杭州市)の人とも新登(浙江省桐廬県)の人ともいいます。咸通元年(860)、二十八歳のころ長安に出て進士に挑みますが、時世を諷刺し権貴に逆らう風があり、落第しつづけます。藩鎮の乱から黄巣の大乱となる時期で、乱のために科挙が中止になる年もありました。
僖宗の中和四年(884)、羅隠が五十二歳のとき黄巣の乱は終わりを告げますが、唐朝の権威は地に落ちてしまいます。羅隠は乱のあいだ湖南その他を漂泊し、妻も身よりも死に果てたといいます。
乱後の光啓年間(885ー887)に鎮海軍節度使銭鏐(せんりょう)をたより、その推薦で銭塘(浙江省杭州市)の県令になります。著作郎、司部員外郎などをへて鎮海軍節度掌書記になりますが、天祐四年(907)、七十五歳のとき、唐が滅んでしまいました。銭鏐が呉越国を建てて呉王になると、羅隠は呉越国の給事中になり、呉越の天宝二年(909)、塩鉄発運使のときに亡くなります。享年七十七歳です。
詩「蜂」は詠物詩ですが、蜂を借りた諷刺詩です。せっせと蜜を集める蜂を借りて諷諭しているのは何かについては議論があります。後半の転句からなりふり構わずに金儲けに励む人、また結句から人を働かせて自分は働かずに楽な暮らしをする人などの説があります。
承句の「無限の風光 尽く占めらる」に着目すれば、天下にはびこってあらゆるところから税を集める役人と税金で安楽な暮らしをしている政府高官を風刺していると見ることもできます。羅隠の詩風は幅広く、諷諭詩を書くかと思えば人生の機微に触れる詩もかきました。