晩唐6ー温庭筠
商山早行 商山を早く行く
晨起動征鐸 晨(あした)に起きて 征鐸(せいたく)を動かす
客行悲故郷 客行(かくこう) 故郷を悲しむ
鶏声茅店月 鶏声(けいせい) 茅店(ぼうてん)の月
人迹板橋霜 人迹(じんせき) 板橋(ばんきょう)の霜
槲葉落山路 槲葉(こくよう) 山路(さんろ)に落ち
枳花明駅牆 枳花(きか) 駅牆(えきしょう)に明らかなり
因思杜陵夢 因(よ)って思う 杜陵(とりょう)の夢
鳧雁満回塘 鳧雁(ふがん) 回塘(かいとう)に満つ
⊂訳⊃
朝早く起きて 鈴を鳴らして馬車を出す
旅する身には いとど故郷が偲ばれる
鶏鳴に促され 茅葺きの旅籠の上に月ひとつ
板橋の霜には はやくも人の足跡がある
槲の落ち葉が 山路に散り
枳殼の花が 宿場の土塀に映えている
想い出すのは 昨日の夜の杜陵の夢
曲がりくねった堤の池に 鴨や雁が群れていた
⊂ものがたり⊃ 温庭筠(おんていいん:812?ー866)は太原祁(き:山西省祁県)のひと。李商隠とほぼ同じ年に生まれ、亡くなったのは李商隠の死の八年後です。家は名家で、若くして文才をあらわし、琴を奏で、笛を吹き、紅灯の巷に流連して行いが正しくありませんでした。
進士に及第できず、襄陽節度使徐商(じょしょう)に取り立てられますが、徐商の失脚によって方城(河南省方城県)の県尉になります。幾つかの県尉を歴任したあと国子助教になります。宣宗の大中十年(856)、四十四歳のころ召されて試験を受けますが、そのとき天子に失礼があったとして隨県(湖北省隨県)の県尉に流されます。懿宗の咸通七年(866)に亡くなり、享年五十五歳くらいです。
詩題「商山を早(あさはや)く行く」の商山は陝西省の山で、武関道をゆく途中、都を遠ざかるときの作と思われます。五言律詩、旅の詩の名作と有名です。「征鐸」は旅行用の馬車につける大鈴で、鈴を鳴らして馬車を出すのです。
中四句、二組の対句は早朝の旅立ちのときの風景です。屋根の上の明け方の月、板橋の上の霜についている足跡、山路に散っている槲(かしわ)の葉、路傍に咲いている枳殼(からたち)の花が描かれます。結びは「杜陵の夢」。杜陵は長安の東南郊にあり、北に曲江をのぞむ風光明美の遊楽地です。去っていく都を懐かしむのでしょう。
商山早行 商山を早く行く
晨起動征鐸 晨(あした)に起きて 征鐸(せいたく)を動かす
客行悲故郷 客行(かくこう) 故郷を悲しむ
鶏声茅店月 鶏声(けいせい) 茅店(ぼうてん)の月
人迹板橋霜 人迹(じんせき) 板橋(ばんきょう)の霜
槲葉落山路 槲葉(こくよう) 山路(さんろ)に落ち
枳花明駅牆 枳花(きか) 駅牆(えきしょう)に明らかなり
因思杜陵夢 因(よ)って思う 杜陵(とりょう)の夢
鳧雁満回塘 鳧雁(ふがん) 回塘(かいとう)に満つ
⊂訳⊃
朝早く起きて 鈴を鳴らして馬車を出す
旅する身には いとど故郷が偲ばれる
鶏鳴に促され 茅葺きの旅籠の上に月ひとつ
板橋の霜には はやくも人の足跡がある
槲の落ち葉が 山路に散り
枳殼の花が 宿場の土塀に映えている
想い出すのは 昨日の夜の杜陵の夢
曲がりくねった堤の池に 鴨や雁が群れていた
⊂ものがたり⊃ 温庭筠(おんていいん:812?ー866)は太原祁(き:山西省祁県)のひと。李商隠とほぼ同じ年に生まれ、亡くなったのは李商隠の死の八年後です。家は名家で、若くして文才をあらわし、琴を奏で、笛を吹き、紅灯の巷に流連して行いが正しくありませんでした。
進士に及第できず、襄陽節度使徐商(じょしょう)に取り立てられますが、徐商の失脚によって方城(河南省方城県)の県尉になります。幾つかの県尉を歴任したあと国子助教になります。宣宗の大中十年(856)、四十四歳のころ召されて試験を受けますが、そのとき天子に失礼があったとして隨県(湖北省隨県)の県尉に流されます。懿宗の咸通七年(866)に亡くなり、享年五十五歳くらいです。
詩題「商山を早(あさはや)く行く」の商山は陝西省の山で、武関道をゆく途中、都を遠ざかるときの作と思われます。五言律詩、旅の詩の名作と有名です。「征鐸」は旅行用の馬車につける大鈴で、鈴を鳴らして馬車を出すのです。
中四句、二組の対句は早朝の旅立ちのときの風景です。屋根の上の明け方の月、板橋の上の霜についている足跡、山路に散っている槲(かしわ)の葉、路傍に咲いている枳殼(からたち)の花が描かれます。結びは「杜陵の夢」。杜陵は長安の東南郊にあり、北に曲江をのぞむ風光明美の遊楽地です。去っていく都を懐かしむのでしょう。