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ティェンタオの自由訳漢詩 2135

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 晩唐6ー温庭筠
   商山早行            商山を早く行く

  晨起動征鐸     晨(あした)に起きて  征鐸(せいたく)を動かす
  客行悲故郷     客行(かくこう)   故郷を悲しむ
  鶏声茅店月     鶏声(けいせい)  茅店(ぼうてん)の月
  人迹板橋霜     人迹(じんせき)  板橋(ばんきょう)の霜
  槲葉落山路     槲葉(こくよう)   山路(さんろ)に落ち
  枳花明駅牆     枳花(きか)    駅牆(えきしょう)に明らかなり
  因思杜陵夢     因(よ)って思う  杜陵(とりょう)の夢
  鳧雁満回塘     鳧雁(ふがん)   回塘(かいとう)に満つ

  ⊂訳⊃
          朝早く起きて  鈴を鳴らして馬車を出す
          旅する身には  いとど故郷が偲ばれる
          鶏鳴に促され  茅葺きの旅籠の上に月ひとつ
          板橋の霜には はやくも人の足跡がある
          槲の落ち葉が  山路に散り
          枳殼の花が   宿場の土塀に映えている
          想い出すのは  昨日の夜の杜陵の夢
          曲がりくねった堤の池に  鴨や雁が群れていた


 ⊂ものがたり⊃ 温庭筠(おんていいん:812?ー866)は太原祁(き:山西省祁県)のひと。李商隠とほぼ同じ年に生まれ、亡くなったのは李商隠の死の八年後です。家は名家で、若くして文才をあらわし、琴を奏で、笛を吹き、紅灯の巷に流連して行いが正しくありませんでした。
 進士に及第できず、襄陽節度使徐商(じょしょう)に取り立てられますが、徐商の失脚によって方城(河南省方城県)の県尉になります。幾つかの県尉を歴任したあと国子助教になります。宣宗の大中十年(856)、四十四歳のころ召されて試験を受けますが、そのとき天子に失礼があったとして隨県(湖北省隨県)の県尉に流されます。懿宗の咸通七年(866)に亡くなり、享年五十五歳くらいです。
 詩題「商山を早(あさはや)く行く」の商山は陝西省の山で、武関道をゆく途中、都を遠ざかるときの作と思われます。五言律詩、旅の詩の名作と有名です。「征鐸」は旅行用の馬車につける大鈴で、鈴を鳴らして馬車を出すのです。
 中四句、二組の対句は早朝の旅立ちのときの風景です。屋根の上の明け方の月、板橋の上の霜についている足跡、山路に散っている槲(かしわ)の葉、路傍に咲いている枳殼(からたち)の花が描かれます。結びは「杜陵の夢」。杜陵は長安の東南郊にあり、北に曲江をのぞむ風光明美の遊楽地です。去っていく都を懐かしむのでしょう。

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