晩唐2ー許渾
金陵懐古 金陵懐古
玉樹歌残王気終 玉樹(ぎょくじゅ)の歌(うた)残りて王気(おうき)は終わり
景陽兵合戍楼空 景陽(けいよう) 兵(へい)合わせて戍楼(じゅろう)空し
松楸遠近千官冢 松楸(しょうしゅう) 遠近(えんきん) 千官(せんかん)の冢(つか)
禾黍高低六代宮 禾黍(かしょ) 高低(こうてい) 六代(りくだい)の宮
石燕払雲晴亦雨 石燕(せきえん) 雲を払いて 晴 亦(ま)た雨
江豚吹浪夜還風 江豚(かとん) 浪を吹いて 夜 還(ま)た風
英雄一去豪華尽 英雄(えいゆう) 一(ひと)たび去りて豪華(ごうか)尽き
惟有青山似洛中 惟(た)だ青山(せいざん)の洛中(らくちゅう)に似たる有り
⊂訳⊃
玉樹後庭花は残り 王朝の命運は尽きる
景陽殿は攻められ 城楼はむなしい
遠く近く松や楸は 臣下百官の墓
波打つ禾黍の畑は 六朝の宮の址
礫は風に飛ばされ 晴れと思えば雨になり
江豚は潮を吹いて 夜にはさらに風が吹く
英雄が一度去れば 栄華の日々は消え
緑の山々だけが 都のあとを偲ばせる
⊂ものがたり⊃ 詩題の「金陵」(きんりょう)は南朝の旧都、許渾の故郷の地でもあります。「玉樹歌」は南朝最後の王朝陳の後主陳叔宝(ちんしゅくほう)が作った「玉樹後庭花」のことで、唐代に歌い継がれていました。「景陽」は陳の景陽殿のことで、隋の兵が攻め込んできたとき、陳叔宝は寵妃とともに宮殿の井戸に隠れていましたが、捕らえられて隋の大興城(長安)に連行されました。
中四句二組の対句で旧都の荒廃したようすを描きます。遠く近くに点在する「松楸」(まつ・ひさぎ)は墓に植える習慣の木で、王朝の臣下の墓が連なっています。「禾黍」は『詩経』王風の「黍離(しょり)」を踏まえており、王宮の址はきび畑になっています。
「石燕」は小石のことで風に遭えば礫のように飛びます。「江豚」はイルカに似た水棲動物で、鯨のように潮を吹くといいます。江南の特異な風物を挙げて変わりやすい天候を描き、英雄の威業もひとたび王気が去れば、「惟だ青山の洛中に似たる有り」と栄枯盛衰の空しさを詠います。
金陵懐古 金陵懐古
玉樹歌残王気終 玉樹(ぎょくじゅ)の歌(うた)残りて王気(おうき)は終わり
景陽兵合戍楼空 景陽(けいよう) 兵(へい)合わせて戍楼(じゅろう)空し
松楸遠近千官冢 松楸(しょうしゅう) 遠近(えんきん) 千官(せんかん)の冢(つか)
禾黍高低六代宮 禾黍(かしょ) 高低(こうてい) 六代(りくだい)の宮
石燕払雲晴亦雨 石燕(せきえん) 雲を払いて 晴 亦(ま)た雨
江豚吹浪夜還風 江豚(かとん) 浪を吹いて 夜 還(ま)た風
英雄一去豪華尽 英雄(えいゆう) 一(ひと)たび去りて豪華(ごうか)尽き
惟有青山似洛中 惟(た)だ青山(せいざん)の洛中(らくちゅう)に似たる有り
⊂訳⊃
玉樹後庭花は残り 王朝の命運は尽きる
景陽殿は攻められ 城楼はむなしい
遠く近く松や楸は 臣下百官の墓
波打つ禾黍の畑は 六朝の宮の址
礫は風に飛ばされ 晴れと思えば雨になり
江豚は潮を吹いて 夜にはさらに風が吹く
英雄が一度去れば 栄華の日々は消え
緑の山々だけが 都のあとを偲ばせる
⊂ものがたり⊃ 詩題の「金陵」(きんりょう)は南朝の旧都、許渾の故郷の地でもあります。「玉樹歌」は南朝最後の王朝陳の後主陳叔宝(ちんしゅくほう)が作った「玉樹後庭花」のことで、唐代に歌い継がれていました。「景陽」は陳の景陽殿のことで、隋の兵が攻め込んできたとき、陳叔宝は寵妃とともに宮殿の井戸に隠れていましたが、捕らえられて隋の大興城(長安)に連行されました。
中四句二組の対句で旧都の荒廃したようすを描きます。遠く近くに点在する「松楸」(まつ・ひさぎ)は墓に植える習慣の木で、王朝の臣下の墓が連なっています。「禾黍」は『詩経』王風の「黍離(しょり)」を踏まえており、王宮の址はきび畑になっています。
「石燕」は小石のことで風に遭えば礫のように飛びます。「江豚」はイルカに似た水棲動物で、鯨のように潮を吹くといいます。江南の特異な風物を挙げて変わりやすい天候を描き、英雄の威業もひとたび王気が去れば、「惟だ青山の洛中に似たる有り」と栄枯盛衰の空しさを詠います。