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ティェンタオの自由訳漢詩 1837

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 南北朝38ー王籍
   入若耶渓           若耶渓に入る

  艅艎何汎汎     艅艎(よこう)   何ぞ汎汎(はんはん)たる
  空水共悠悠     空水(くうすい)  共に悠悠(ゆうゆう)たり
  陰霞生遠岫     陰霞(いんか)  遠岫(えんしゅう)に生じ
  陽景逐囘流     陽景(ようけい) 回流(かいりゅう)を逐(お)う
  蝉噪林逾静     蝉噪(さわ)いで 林 逾々(いよいよ)静かに
  鳥鳴山更幽     鳥(とり)鳴いて  山 更に幽(ゆう)なり
  此地動帰念     此の地  帰念(きねん)を動かし
  長年悲倦遊     長年(ちょうねん)  倦遊(けんゆう)を悲しむ

  ⊂訳⊃
          美しい船が  流れに乗って走り
          空の景色   水の景色が広がっていく
          遥かな山に  雲と霧がかかり
          逆巻く流れを 陽の光が追ってくる
          蝉の鳴き声で  林はいっそう静かになり
          小鳥の囀りで  山はいっそう深くなる
          こんな世界に身を置けば  隠棲への心が動き
          任地をめぐる宮仕えが   嫌になる


 ⊂ものがたり⊃ 梁の武帝の一族は武門の出といっても、ほとんど貴族化していました。武帝自身も詩を作ったし、長子の昭明太子蕭統(しょうとう)は詩人であると同時に『文選』(もんぜん)を編纂し、「陶淵明伝」も書いています。『文選』は以後、詩人必読の書になり、日本にも早くに伝来しています。
 また、劉勰(りゅうきょう)の『文心雕龍』(ぶんしんちょうりょう)は魏晋以来の文学理論を集大成したもので、唐代の詩に大きな影響を与えました。
 王籍(おうせき)は武帝時代初期の詩人で、謝霊雲の詩風を慕い山水詩を得意としました。「若耶渓に入る」の詩は湘東王諮議参軍のとき、会稽郡(浙江省紹興市)に行ったときの作です。詩題の「若耶渓」(じゃくやけい)は会稽郡の南辺にあった雲門天柱山の渓流で、その風景が気に入って数か月帰るのを忘れたと言われています。
 詩は対句をつらねる形式になっており、首聯の「艅艎」は綺麗に飾り立てた舟、その舟に乗って流れを下っていくと、空と水の美しい景色が展開していきます。頷聯は景色の拡がりをさらに細かく描くもので、「陽景 回流を逐う」には謝霊雲流の繊細な観察眼が窺われます。
 頷聯の対句は、当時「文外独絶」と賞讃された名句で、後代の手本になりました。そうした美しい自然に囲まれていると、「帰念」(隠棲を願う心)が湧いてきて、「倦遊」(地方を転々と勤務して歩くことの倦怠感)を覚えると詠います。

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