南北朝37ー陶弘景
詔問山中何所 山中に何の有る所ぞと詔問
有賦詩以答 せられ 詩を賦して以て答う
山中何所有 山中(さんちゅう) 何の有る所ぞ
嶺上多白雲 嶺上(れいじょう) 白雲(はくうん)多し
只可自怡悦 只(た)だ自ら怡(たのし)み悦(よろこ)ぶ可(べ)し
不堪持寄君 持(じ)して君に寄するに堪(た)えず
⊂訳⊃
山の中に何があるか
峰の上に 多くの白雲が浮かんでいます
ただそれは 私が見て楽しむだけで
陛下にお届けすることはできません
⊂ものがたり⊃ 斉の混乱がつづくなか、同族の武将蕭衍(しょうえん)が即位して梁(南朝梁)を建国し、年号を天監(元年は502)と定めます。武帝蕭衍の父蕭順之(しょうじゅんし)は斉の建国者蕭道成(しょうどうせい)の族弟であり、創業の功臣のひとりでした。宗室に繋がる蕭衍は恵まれた環境の中で育ち、文武両道にわたる教養を身につけ、当代一流の詩人とも交わっていました。
即位すると武帝は、親しかった沈約を尚書令に任じ、埋もれた人材を登用して意欲的に民生の回復に努めます。しかし、なかには召しに応じなかった知識人もいました。陶弘景(とうこうけい)はそのひとりです。
陶弘景は斉のとき一時任官したことがありますが、永明十年(492)に辞任し、句曲山に隠棲して華陽隠居と称していました。梁になってたびたび武帝の召しを受けますが固辞し、野にあって国家の諮問に与かったので「山中宰相」と称されました。
詩は武帝に対するものではないとされていますが、皇帝の問いに答える形で書かれており、隠者の心意気を示して爽やかです。唐代には、この詩を模した詩がいくつも作られています。
詔問山中何所 山中に何の有る所ぞと詔問
有賦詩以答 せられ 詩を賦して以て答う
山中何所有 山中(さんちゅう) 何の有る所ぞ
嶺上多白雲 嶺上(れいじょう) 白雲(はくうん)多し
只可自怡悦 只(た)だ自ら怡(たのし)み悦(よろこ)ぶ可(べ)し
不堪持寄君 持(じ)して君に寄するに堪(た)えず
⊂訳⊃
山の中に何があるか
峰の上に 多くの白雲が浮かんでいます
ただそれは 私が見て楽しむだけで
陛下にお届けすることはできません
⊂ものがたり⊃ 斉の混乱がつづくなか、同族の武将蕭衍(しょうえん)が即位して梁(南朝梁)を建国し、年号を天監(元年は502)と定めます。武帝蕭衍の父蕭順之(しょうじゅんし)は斉の建国者蕭道成(しょうどうせい)の族弟であり、創業の功臣のひとりでした。宗室に繋がる蕭衍は恵まれた環境の中で育ち、文武両道にわたる教養を身につけ、当代一流の詩人とも交わっていました。
即位すると武帝は、親しかった沈約を尚書令に任じ、埋もれた人材を登用して意欲的に民生の回復に努めます。しかし、なかには召しに応じなかった知識人もいました。陶弘景(とうこうけい)はそのひとりです。
陶弘景は斉のとき一時任官したことがありますが、永明十年(492)に辞任し、句曲山に隠棲して華陽隠居と称していました。梁になってたびたび武帝の召しを受けますが固辞し、野にあって国家の諮問に与かったので「山中宰相」と称されました。
詩は武帝に対するものではないとされていますが、皇帝の問いに答える形で書かれており、隠者の心意気を示して爽やかです。唐代には、この詩を模した詩がいくつも作られています。