中唐116ー劉禹錫
蜀先主廟 蜀先主の廟
天下英雄気 天下(てんか) 英雄の気(き)
千秋尚凛然 千秋(せんしゅう) 尚(な)お凛然(りんぜん)
勢分三足鼎 勢(せい)は三足(さんそく)の鼎(てい)を分かち
業復五銖銭 業(ぎょう)は五銖銭(ごしゅせん)を復(おこ)す
得相能開国 相(しょう)を得ては能(よ)く国を開き
生児不象賢 児(じ)を生んでは象賢(しょうけん)ならず
凄涼蜀故妓 凄涼(せいりょう)たり 蜀(しょく)の故妓(こぎ)
来舞魏官前 来たりて舞う 魏官(ぎかん)の前
⊂訳⊃
天下 英雄の気概は
千年 厳としてこの世にある
勢いは分立して 鼎の三足の一となり
鴻業は漢の血筋を再興する
名宰相を得て国を開いたが
後継ぎは不肖の子であった
蜀の妓女が 魏官の前で舞うのをみて
蜀の旧臣は 粛として頭を垂れる
⊂ものがたり⊃ 元和十五年(820)に憲宗が崩じて穆宗が即位すると、翌長慶元年(821)三月、王叔文一派への恩赦がくだります。劉禹錫は夔州(きしゅう:四川省奉節県)の刺史に移され、ついで敬宗の宝暦元年(825)春、和州(安徽省和県)刺史に転じます。都に復帰するのは文宗の太和二年(828)になってからです。
詩題の「蜀先主(しょくせんしゅ)の廟」は夔州にあった蜀漢の先主劉備(りゅうび)の廟で、夔州刺史になったときの作とされています。「凛然」は厳粛なさまで、まず英雄の気概が厳然と存在すると詠います。
中四句は蜀漢の興亡を述べるもので、「三足の鼎」は三国時代に魏・蜀・呉が鼎立し、劉備が蜀を興しました。「五銖銭」は漢の武帝の通貨で、漢の復興を喩えます。「相」は諸葛孔明、「児」は後主劉禅のことで、劉禅は魏に降伏して魏都洛陽に連行されました。
蜀の妓女が魏の宴会の席で舞うのをみて、劉禅とともに魏に連行された蜀臣たちは「凄涼」(もの寂しいさま)として頭を垂れましたが、劉禅は笑っていたと伝えられます。
蜀先主廟 蜀先主の廟
天下英雄気 天下(てんか) 英雄の気(き)
千秋尚凛然 千秋(せんしゅう) 尚(な)お凛然(りんぜん)
勢分三足鼎 勢(せい)は三足(さんそく)の鼎(てい)を分かち
業復五銖銭 業(ぎょう)は五銖銭(ごしゅせん)を復(おこ)す
得相能開国 相(しょう)を得ては能(よ)く国を開き
生児不象賢 児(じ)を生んでは象賢(しょうけん)ならず
凄涼蜀故妓 凄涼(せいりょう)たり 蜀(しょく)の故妓(こぎ)
来舞魏官前 来たりて舞う 魏官(ぎかん)の前
⊂訳⊃
天下 英雄の気概は
千年 厳としてこの世にある
勢いは分立して 鼎の三足の一となり
鴻業は漢の血筋を再興する
名宰相を得て国を開いたが
後継ぎは不肖の子であった
蜀の妓女が 魏官の前で舞うのをみて
蜀の旧臣は 粛として頭を垂れる
⊂ものがたり⊃ 元和十五年(820)に憲宗が崩じて穆宗が即位すると、翌長慶元年(821)三月、王叔文一派への恩赦がくだります。劉禹錫は夔州(きしゅう:四川省奉節県)の刺史に移され、ついで敬宗の宝暦元年(825)春、和州(安徽省和県)刺史に転じます。都に復帰するのは文宗の太和二年(828)になってからです。
詩題の「蜀先主(しょくせんしゅ)の廟」は夔州にあった蜀漢の先主劉備(りゅうび)の廟で、夔州刺史になったときの作とされています。「凛然」は厳粛なさまで、まず英雄の気概が厳然と存在すると詠います。
中四句は蜀漢の興亡を述べるもので、「三足の鼎」は三国時代に魏・蜀・呉が鼎立し、劉備が蜀を興しました。「五銖銭」は漢の武帝の通貨で、漢の復興を喩えます。「相」は諸葛孔明、「児」は後主劉禅のことで、劉禅は魏に降伏して魏都洛陽に連行されました。
蜀の妓女が魏の宴会の席で舞うのをみて、劉禅とともに魏に連行された蜀臣たちは「凄涼」(もの寂しいさま)として頭を垂れましたが、劉禅は笑っていたと伝えられます。