初唐2ー魏徴
述懐 述懐 (後半十二句)
鬱紆陟高岫 鬱紆(うつう)として高岫(こうしゅう)に陟(のぼ)り
出没望平原 出没(しゅつぼつ)して平原を望む
古木鳴寒鳥 古木(こぼく) 寒鳥(かんちょう)鳴き
空山啼夜猿 空山(くうざん) 夜猿(やえん)啼く
既傷千里目 既(すで)に千里の目を傷(いた)ましめ
還驚九逝魂 還(ま)た九逝(きゅうせい)の魂(こん)を驚かす
豈不憚艱険 豈(あ)に艱険(かんけん)を憚(はばか)らざらんや
深懐国士恩 深く国士(こくし)の恩を懐(おも)う
季布無二諾 季布(きふ)は二諾(にだく)無く
侯嬴重一言 侯嬴(こうえい)は一言(いちごん)を重んず
人生感意気 人生 意気(いき)に感ず
功名誰復論 功名 誰か復(ま)た論ぜん
⊂訳⊃
曲がりくねった道を辿り 山に登れば
遥か彼方に 平原が見え隠れする
冬の鳥は 古木の上で寒々と鳴き
夜の山中で 猿は悲しげに啼き叫ぶ
遠く都を望めば 目は悲しみでくもり
魂は一夜に 九回も故郷へ飛ぶ
任務の険しさに立ち竦むが
国士と見込まれた恩は 心に深く刻んでいる
季布は約束を必ず実行し
侯嬴は一言を重んじて命を捨てた
人生 意気に感ず
功名手柄は論ずるに足らず
⊂ものがたり⊃ 後半十二句のはじめ四句は、東へ向かう途中の山道の寂しい情景を描きます。「鬱紆」や「出没」は作者の心情の喩えにもなっています。つづく四句は前段を受けて不安や郷愁、心中の葛藤を述べます。
「千里の目」は遠くを望み見ることであり、「九逝の魂」は一夜に九回も故郷へ飛ぶ夢をみることです。任務の困難を思うと立ち竦む思いですが、思い直して「国士の恩」に酬いたいと考えます。
国士の恩は『史記』刺客列伝の豫譲(よじょう)の説話を踏まえるもので、豫譲は智伯(ちはく)の恩に酬いるために、智伯を殺した趙襄子(ちょうじょうし)の命をつけ狙い切りつけます。唐に抗した李密(りみつ)と竇建徳(とうけんとく)に仕えていた自分を用いてくれた高祖李淵(りえん)の恩に酬いたいという思いを述べるものでしょう。
結びの四句では「季布」と「侯嬴」の故事を挙げ、自分も彼らに倣うつもりであると決意を述べます。二人とも『史記』に出てくる人物で、季布は項羽に仕えていましたが、項羽の死後、劉邦に重用され、約束を違えることのない人物として有名でした。
侯嬴は戦国時代の魏の隠者で、魏の公子信陵君が秦に包囲されている趙を援けるために出陣するとき、戦略を授けました。そして、自分は年老いて従軍できないので命をはなむけにしますと言って自刎しました。主君に誠実な人物として挙げるもので、自分も彼らのように誠実でありたいと述べるものです。結びの二句は有名で、後世に箴言のように用いられていますので、ご存じの方も多いでしょう。
唐の創業まもないこのころは新しい詩風は現れておらず、もっぱら南朝の宮体詩を追うものが一般的でした。魏徴の詩は時代に先駆けて突出しており、建安文学の風骨に勝るものがあります。乱世を生き抜いてきた魏徴の苦難に満ちた人生が、この秀作を生み出したと言っていいでしょう。
述懐 述懐 (後半十二句)
鬱紆陟高岫 鬱紆(うつう)として高岫(こうしゅう)に陟(のぼ)り
出没望平原 出没(しゅつぼつ)して平原を望む
古木鳴寒鳥 古木(こぼく) 寒鳥(かんちょう)鳴き
空山啼夜猿 空山(くうざん) 夜猿(やえん)啼く
既傷千里目 既(すで)に千里の目を傷(いた)ましめ
還驚九逝魂 還(ま)た九逝(きゅうせい)の魂(こん)を驚かす
豈不憚艱険 豈(あ)に艱険(かんけん)を憚(はばか)らざらんや
深懐国士恩 深く国士(こくし)の恩を懐(おも)う
季布無二諾 季布(きふ)は二諾(にだく)無く
侯嬴重一言 侯嬴(こうえい)は一言(いちごん)を重んず
人生感意気 人生 意気(いき)に感ず
功名誰復論 功名 誰か復(ま)た論ぜん
⊂訳⊃
曲がりくねった道を辿り 山に登れば
遥か彼方に 平原が見え隠れする
冬の鳥は 古木の上で寒々と鳴き
夜の山中で 猿は悲しげに啼き叫ぶ
遠く都を望めば 目は悲しみでくもり
魂は一夜に 九回も故郷へ飛ぶ
任務の険しさに立ち竦むが
国士と見込まれた恩は 心に深く刻んでいる
季布は約束を必ず実行し
侯嬴は一言を重んじて命を捨てた
人生 意気に感ず
功名手柄は論ずるに足らず
⊂ものがたり⊃ 後半十二句のはじめ四句は、東へ向かう途中の山道の寂しい情景を描きます。「鬱紆」や「出没」は作者の心情の喩えにもなっています。つづく四句は前段を受けて不安や郷愁、心中の葛藤を述べます。
「千里の目」は遠くを望み見ることであり、「九逝の魂」は一夜に九回も故郷へ飛ぶ夢をみることです。任務の困難を思うと立ち竦む思いですが、思い直して「国士の恩」に酬いたいと考えます。
国士の恩は『史記』刺客列伝の豫譲(よじょう)の説話を踏まえるもので、豫譲は智伯(ちはく)の恩に酬いるために、智伯を殺した趙襄子(ちょうじょうし)の命をつけ狙い切りつけます。唐に抗した李密(りみつ)と竇建徳(とうけんとく)に仕えていた自分を用いてくれた高祖李淵(りえん)の恩に酬いたいという思いを述べるものでしょう。
結びの四句では「季布」と「侯嬴」の故事を挙げ、自分も彼らに倣うつもりであると決意を述べます。二人とも『史記』に出てくる人物で、季布は項羽に仕えていましたが、項羽の死後、劉邦に重用され、約束を違えることのない人物として有名でした。
侯嬴は戦国時代の魏の隠者で、魏の公子信陵君が秦に包囲されている趙を援けるために出陣するとき、戦略を授けました。そして、自分は年老いて従軍できないので命をはなむけにしますと言って自刎しました。主君に誠実な人物として挙げるもので、自分も彼らのように誠実でありたいと述べるものです。結びの二句は有名で、後世に箴言のように用いられていますので、ご存じの方も多いでしょう。
唐の創業まもないこのころは新しい詩風は現れておらず、もっぱら南朝の宮体詩を追うものが一般的でした。魏徴の詩は時代に先駆けて突出しており、建安文学の風骨に勝るものがあります。乱世を生き抜いてきた魏徴の苦難に満ちた人生が、この秀作を生み出したと言っていいでしょう。