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ティェンタオの自由訳漢詩 2111

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 中唐108ー張祜
    宮詞            宮詞

  故国三千里     故国(ここく)    三千里
  深宮二十年     深宮(しんきゅう)  二十年
  一声河満子     一声(いっせい)  河満子(かまんし)
  双涙落君前     双涙(そうるい)   君が前に落つ

  ⊂訳⊃
          故郷を離れて三千里

          後宮に仕えて二十年

          河満子の曲の一声で

          涙は君前をかまわずに流れ落ちる


 ⊂ものがたり⊃ 元和十五年(820)正月二十七日、憲宗が急死します。中興の英主と言われる憲宗は、晩年、仙薬を服用するようになって粗暴な振るまいが多くなり、危険を感じた宦官に殺害されたという伝えもあります。翌閏正月三日に二十六歳の青年皇帝穆宗(ぼくそう)が即位します。
 張祜(ちょうこ:792?ー852?)は清河(河北省清河県)の人とも南陽(河南省南陽市)の人ともいいます。はじめ姑蘇(江蘇省蘇州市)に住み、宮廷を題材とした楽府題の詩で名をあげました。
 元和十五年(820)、二十九歳のころ令孤楚(れいこそ)に推挙されて長安に上りました。令孤楚は若いころの李商隠を支援した高官で、当時、宰相の地位にいたのですが、元稹(げんじん)の反対にあって採用にならなかったといいます。
 張祜はやがて都をはなれ、淮南地方を遊歴して名勝・名刹を訪ね詩作にふけります。のち丹陽(江蘇省鎮江市丹陽県)に隠棲し、宣宗の大中六年(852)ころ庶士のまま生涯を終えます。享年六十歳くらいです。
 詩題の「宮詞」(きゅうし)は宮廷の歌という意味です。遠い故郷から召し出されて後宮に二十年も仕えた女性の歎きを詠います。「河満子」は歌曲の名で、「断腸詞」ともいいます。開元のころ滄州(そうしゅう)の河満子という歌手が罪をえて処刑されようとしたとき、死を贖おうとして作った曲といわれています。その曲を聞けば、君前であるのもかまわずに涙が流れると詠うのです。宮女の苛酷な人生を描く社会詩です。

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