Quantcast
Channel: 漢詩を楽しもう
Viewing all articles
Browse latest Browse all 554

ティェンタオの自由訳漢詩 2110

$
0
0
 中唐107ー薛濤
     十離詩             十離の詩
     筆離手             筆 手を離る

  越管宣毫始称情   越管(えつかん)宣毫(せんごう)  始め情に称(かな)い
  紅箋紙上撒花瓊   紅箋(こうせん)紙上(しじょう)   花瓊(かけい)を撒(ま)く
  都縁用久鋒頭尽   都(すべ)て用うること久しく鋒頭(ほうとう)尽きしに縁(よ)り
  不得羲之手裏   羲之(ぎし)の手裏(しゅり)に(ささ)げらるるを得ず

  ⊂訳⊃
          越の竹と宣州の毫  始はまことに使いよく

          紅箋の上に   花を撒くように書くことができる

          だが使う内に  筆の穂先はちびて

          王羲之の手に  もはや握ってもらえないのだ


 ⊂ものがたり⊃ 詩題の「十離(じゅうり)の詩」は頼りにしているものから離れる(捨てられる)辛さを十首の詩につづったものです。小題「筆 手を離る」は筆が捨てられる話。
 「越管宣毫」は越(浙江省)の竹と宣州(安徽省宣城県)の毫(極細の毛)で作った筆のことで、名品でした。「紅箋」は薛濤作と伝えられる紙で、そのうえに玉の花を撒くように書けるというのです。「鋒頭」は筆の穂先のことで、名品の筆も永く使っているうちに穂先がちびて、「羲之」(書の名人王羲之)の手に握ってもらえなくなると詠います。
 老いて容色の衰えた自分を、すげなくしないでほしいと詠うのでしょう。王羲之といっているので、相手は名のある文人・詩人かもしれません。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 554

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>