中唐107ー薛濤
十離詩 十離の詩
筆離手 筆 手を離る
越管宣毫始称情 越管(えつかん)宣毫(せんごう) 始め情に称(かな)い
紅箋紙上撒花瓊 紅箋(こうせん)紙上(しじょう) 花瓊(かけい)を撒(ま)く
都縁用久鋒頭尽 都(すべ)て用うること久しく鋒頭(ほうとう)尽きしに縁(よ)り
不得羲之手裏 羲之(ぎし)の手裏(しゅり)に(ささ)げらるるを得ず
⊂訳⊃
越の竹と宣州の毫 始はまことに使いよく
紅箋の上に 花を撒くように書くことができる
だが使う内に 筆の穂先はちびて
王羲之の手に もはや握ってもらえないのだ
⊂ものがたり⊃ 詩題の「十離(じゅうり)の詩」は頼りにしているものから離れる(捨てられる)辛さを十首の詩につづったものです。小題「筆 手を離る」は筆が捨てられる話。
「越管宣毫」は越(浙江省)の竹と宣州(安徽省宣城県)の毫(極細の毛)で作った筆のことで、名品でした。「紅箋」は薛濤作と伝えられる紙で、そのうえに玉の花を撒くように書けるというのです。「鋒頭」は筆の穂先のことで、名品の筆も永く使っているうちに穂先がちびて、「羲之」(書の名人王羲之)の手に握ってもらえなくなると詠います。
老いて容色の衰えた自分を、すげなくしないでほしいと詠うのでしょう。王羲之といっているので、相手は名のある文人・詩人かもしれません。
十離詩 十離の詩
筆離手 筆 手を離る
越管宣毫始称情 越管(えつかん)宣毫(せんごう) 始め情に称(かな)い
紅箋紙上撒花瓊 紅箋(こうせん)紙上(しじょう) 花瓊(かけい)を撒(ま)く
都縁用久鋒頭尽 都(すべ)て用うること久しく鋒頭(ほうとう)尽きしに縁(よ)り
不得羲之手裏 羲之(ぎし)の手裏(しゅり)に(ささ)げらるるを得ず
⊂訳⊃
越の竹と宣州の毫 始はまことに使いよく
紅箋の上に 花を撒くように書くことができる
だが使う内に 筆の穂先はちびて
王羲之の手に もはや握ってもらえないのだ
⊂ものがたり⊃ 詩題の「十離(じゅうり)の詩」は頼りにしているものから離れる(捨てられる)辛さを十首の詩につづったものです。小題「筆 手を離る」は筆が捨てられる話。
「越管宣毫」は越(浙江省)の竹と宣州(安徽省宣城県)の毫(極細の毛)で作った筆のことで、名品でした。「紅箋」は薛濤作と伝えられる紙で、そのうえに玉の花を撒くように書けるというのです。「鋒頭」は筆の穂先のことで、名品の筆も永く使っているうちに穂先がちびて、「羲之」(書の名人王羲之)の手に握ってもらえなくなると詠います。
老いて容色の衰えた自分を、すげなくしないでほしいと詠うのでしょう。王羲之といっているので、相手は名のある文人・詩人かもしれません。