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ティェンタオの自由訳漢詩 2100

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 中唐97ー柳宗元
   柳州城西北隅           柳州城の西北隅
   種甘樹               に甘樹を種う

  手種黄甘二百株   手(て)ずから種(う)う  黄甘(こうかん)二百株(しゅ)
  春来新葉徧城隅   春来たりて新しき葉  城隅(じょうぐう)に徧(あまね)し
  方同楚客憐皇樹   方(まさ)に同じ  楚客(そきゃく)の皇樹(こうじゅ)を憐れむに
  不学荊州利木奴   学(まな)ばず   荊州(けいしゅう)の木奴(ぼくど)を利するを
  幾歳開花聞噴雪   幾歳(いくとせ)か  花を開きて雪を噴(ふ)くのを聞かん
  何人摘実見垂珠   何人(なんびと)か  実を摘(つ)みて珠(たま)を垂るるを見ん
  若教坐待成林日   若(も)し坐(い)ながら林と成る日を待たしめば
  滋味還堪養老夫   滋味(じみ)還(ま)た老夫を養うに堪(た)えん

  ⊂訳⊃
          蜜柑を二百本  自分で植える
          春になれば   城には新しい葉が満ちわたる
          屈原が      天界の樹を愛したのと同様であり
          荊州の李衡が  蜜柑を植えたのとはわけが違う
          何年たったら  雪のような白い花が咲き
          どんな人が    たわわに稔る実を摘むのだろうか
          林となるまで   このまま待たせてもらえるなら
          老いの身を養うのに  充分な滋養があるだろう


 ⊂ものがたり⊃ 柳宗元はやがて現実を受け入れ、長安と断絶して生きる覚悟を固めていきます。たとえ柳州で生涯を終えることになっても、それを運命として受け入れようという思いを育ててゆくのです。そんな思いを詠う植樹の詩です。
 「黄甘」は蜜柑の一種で、詩題の「甘樹」(かんじゅ)はその木です。柳宗元は城内の西北隅に黄甘の木二百本を植えました。詩は植え終わっての感懐を詠うものです。
 頷聯の対句「方に同じ 楚客の皇樹を憐れむに」は楚辞「九章」の「橘頌」を念頭においており、「楚客」は屈原のことです。「橘頌」に「后皇(こうこう)の嘉樹 橘(たちばな)徠(きた)り服す」の詩句があり、屈原が橘を愛でたのと同じ気持ちであると詠うのです。つぎの「学ばず 荊州の木奴を利するを」は三国呉の丹陽太守李衡(荊州襄陽の人)が治産の目的で「木奴」(柑橘の異名)千株を植えたのを真似るのではないということです。
 ついで頚聯の対句では、黄甘が大きく育ち、花が咲き、実がなるさまを想像します。どんな人がその実を摘むのかと問い、黄甘の木が林のようになるまでこのままここで生きていけるのなら、おいしい実で老後を養うことができるであろうと未来を楽しんでいます。そこには長安の荘園を懐かしむ詩句はかけらもありません。

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