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ティェンタオの自由訳漢詩 2099

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 中唐96ー柳宗元
   与浩初上人同看         浩初上人と同に山を看
   山寄京華親故          て 京華の親故に寄す

  海畔尖山似剣鋩   海畔(かいはん)の尖山(せんざん)  剣鋩(けんぼう)に似たり
  秋来処処割愁腸   秋(あき)来たりて  処処(しょしょ)  愁腸(しゅうちょう)を割(さ)く
  若為化得身千憶   若為(いかん)ぞ   身を千憶に化(か)し得て
  散上峰頭望故郷   散じて峰頭(ほうとう)に上りて故郷を望まん

  ⊂訳⊃
          川辺に切り立つ山々は  剣の切っ先のようだ

          秋が来ると  愁いに満ちた腸はずたずたに切り裂かれる

          どうしたら  この身を千憶に振り分けて

          すべての山の頂に登り  故郷を望むことができるだろうか


 ⊂ものがたり⊃ 詩は元和十三年(818)秋の作とみられています。詩題の「浩初上人」(こうしょしょうにん)は潭州(湖南省長沙市)の人。龍安海禅師の弟子で、柳宗元とは永州で知り合った仲でした。柳州に訪ねてきた上人と山を見たときの感懐をつづり、都の親戚や友人に送った作品です。
 「海畔の尖山」とありますが、柳州の山を見たのであれば川岸になります。尖った山の峰は剣の「鋩」(切っ先)のようで、秋になると愁いに満ちた私の心をずたずたに切り裂くと詠います。かなり激しい表現ですが、比喩を用いているところに心の余裕があります。
 転句の「若為」はどうしたらできるのかという問いかけの語で、つぎの結句にかかる言葉です。「身千憶」という言い方は仏典に由来し、仏陀に帰依する心をいいます。ここでは千憶の体に分身して、すべての山の頂に登って故郷を望むにはどうしたらいいかと自分に問いかけ、また「京華の親故」(けいかのしんこ)に問いかけるのです。
 仏教の言葉を引用した大げさな表現で望郷の思いを伝えようとしていますが、永州時代のような痛切なひびきは見られません。 

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