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ティェンタオの自由訳漢詩 2089

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 中唐86ー柳宗元
   詔追赴都迴           詔により追われて都に赴き
   寄零陵親故           迴る 零陵の親故に寄す

  毎憶繊鱗遊尺沢   毎(つね)に憶(おも)う  繊鱗(せんりん)の尺沢(せきたく)に遊びしことを
  翻愁弱羽上丹霄   翻(ひるがえ)って愁う  弱羽(じゃくう)の丹霄(たんしょう)に上るを
  岸傍古堠応無数   岸傍(がんぼう)の古堠(ここう)は応(まさ)に無数なるべし
  次第行看別路遥   次第に行々(ゆくゆく)看(み)れば別路(べつろ)遥かなり

  ⊂訳⊃
          繰り返し思う  小魚が小さな池で泳いでいたことを

          それを思えば  弱った羽根で空に昇るのが不安である

          岸辺の一里塚は   どこまでもつづくだろう

          それを過ぎる毎に  永州から遠ざかる


 ⊂ものがたり⊃ 九年余におよぶ永州貶謫は柳宗元の心を打ち砕くかと思われましたが、「囚山賦」を書いた翌元和十年(815)正月、憲宗の詔勅が永州に届きました。都へ召喚されることになった柳宗元はすでに四十三歳になっていました。
 突然の帰還命令に接し、諦めかけていた柳宗元の心は一転して希望に湧き立ちます。と同時に十年振りの長安を不安に思う気持ちもありました。詩は永州零陵を発つとき「親故」(親しい友人)に贈った留別の詩です。
 起句で自分を「繊鱗」(かよわい小魚)と卑下します。「丹霄」は赤い空で、輝く大空のような都に「弱羽」(弱った翼)で帰るのは不安であると詠います。「古堠」の堠は里程をしめす塚のことで、「岸傍」とあるので水路の傍らにも一里塚が置かれていたのでしょう。「古堠」を辿ってゆくうちに永州から遠ざかると別れを惜しむ気持ちを詠います。

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