中唐81ー柳宗元
南澗中題 南澗中に題す (後半六句)
弧生易為感 弧(ひと)りなる生は感(かん)を為(な)し易(やす)く
失路少所宜 路を失いては宜(よろ)しき所(ところ)少なし
索寞竟何事 索寞(さくばく) 竟(つい)に何をか事とせん
徘徊秖自知 徘徊(はいかい)して秖(た)だ自(みずか)ら知る
誰為後来者 誰か後来(こうらい)の者と為(な)らん
当与此心期 当(まさ)に此の心と期(き)すべし
⊂訳⊃
一人ぼっちの生活は 物に感じやすく
路を踏み誤って以来 よいことは少ない
うらぶれた寂しさ いったい何をしようというのか
さまよい歩くこの心 自分だけが知っている
私のあとに 誰がやってくるのだろう
その人は 私のこの思いに出会うであろう
⊂ものがたり⊃ 後半六句は自問自答です。苦悩する心を語ります。「索寞 竟に何をか事とせん」と自問し、「後来の者」は自分のこの思いに出会い、理解してくれるに違いないと、未来に託して安心(あんじん)を得ようとします。
南澗中題 南澗中に題す (後半六句)
弧生易為感 弧(ひと)りなる生は感(かん)を為(な)し易(やす)く
失路少所宜 路を失いては宜(よろ)しき所(ところ)少なし
索寞竟何事 索寞(さくばく) 竟(つい)に何をか事とせん
徘徊秖自知 徘徊(はいかい)して秖(た)だ自(みずか)ら知る
誰為後来者 誰か後来(こうらい)の者と為(な)らん
当与此心期 当(まさ)に此の心と期(き)すべし
⊂訳⊃
一人ぼっちの生活は 物に感じやすく
路を踏み誤って以来 よいことは少ない
うらぶれた寂しさ いったい何をしようというのか
さまよい歩くこの心 自分だけが知っている
私のあとに 誰がやってくるのだろう
その人は 私のこの思いに出会うであろう
⊂ものがたり⊃ 後半六句は自問自答です。苦悩する心を語ります。「索寞 竟に何をか事とせん」と自問し、「後来の者」は自分のこの思いに出会い、理解してくれるに違いないと、未来に託して安心(あんじん)を得ようとします。