中唐80ー柳宗元
南澗中題 南澗中に題す (前半十句)
秋気集南澗 秋気(しゅうき) 南澗(なんかん)に集まる
独遊亭午時 独り遊ぶ 亭午(ていご)の時
迴風一蕭瑟 迴風(かいふう) 一(いつ)に蕭瑟(しょうしつ)
林影久参差 林影(りんえい) 久しく参差(さんし)
始至若有得 始めて至りて得ること有るが若(ごと)し
稍深遂忘疲 稍(や)や深くして遂(つい)に疲れを忘る
羇禽響幽谷 羇禽(ききん) 幽谷(ゆうこく)に響き
寒藻舞淪漪 寒藻(かんそう) 淪漪(りんい)に舞う
去国魂已游 国(くに)を去りて 魂 已(すで)に游び
懐人涙空垂 人を懐(おも)いて 涙 空しく垂(た)る
⊂訳⊃
秋の気が 南の谷川に集まるとき
ま昼間に ひとりで散歩する
つむじ風は 淋しげに吹き
林の木々は 入り乱れていつまでも揺れる
ここに来たとき 心に触れるものがあった
奥にゆくにつれ 疲れを忘れる
渡り鳥の声が 静かな谷間にひびき
渓流の水草が さざ波に揺れている
都を去って 魂は肉体から離れ
人恋しくて むなしい涙を流す
⊂ものがたり⊃ 元和七年(812)の秋、「永州八記」に代表される山水記を書きながら、柳宗元の孤独は深まっていきます。その孤独、寂寞を乗り越えようとして詩が書かれます。詩題の「南澗」は南の谷川で、愚丘の南、愚渓のことでしょう。
秋の正午、淋しく澄み切った流れのあたり、つむじ風の吹くなかを歩いてゆきます。柳宗元はその山水を「始めて至りて得ること有るが若し」「遂に疲れを忘る」と肯定的に捉えようとします。だが、心はすぐに反転し、「国を去りて 魂 已に游び 人を懐いて 涙 空しく垂る」と詠うのです。
南澗中題 南澗中に題す (前半十句)
秋気集南澗 秋気(しゅうき) 南澗(なんかん)に集まる
独遊亭午時 独り遊ぶ 亭午(ていご)の時
迴風一蕭瑟 迴風(かいふう) 一(いつ)に蕭瑟(しょうしつ)
林影久参差 林影(りんえい) 久しく参差(さんし)
始至若有得 始めて至りて得ること有るが若(ごと)し
稍深遂忘疲 稍(や)や深くして遂(つい)に疲れを忘る
羇禽響幽谷 羇禽(ききん) 幽谷(ゆうこく)に響き
寒藻舞淪漪 寒藻(かんそう) 淪漪(りんい)に舞う
去国魂已游 国(くに)を去りて 魂 已(すで)に游び
懐人涙空垂 人を懐(おも)いて 涙 空しく垂(た)る
⊂訳⊃
秋の気が 南の谷川に集まるとき
ま昼間に ひとりで散歩する
つむじ風は 淋しげに吹き
林の木々は 入り乱れていつまでも揺れる
ここに来たとき 心に触れるものがあった
奥にゆくにつれ 疲れを忘れる
渡り鳥の声が 静かな谷間にひびき
渓流の水草が さざ波に揺れている
都を去って 魂は肉体から離れ
人恋しくて むなしい涙を流す
⊂ものがたり⊃ 元和七年(812)の秋、「永州八記」に代表される山水記を書きながら、柳宗元の孤独は深まっていきます。その孤独、寂寞を乗り越えようとして詩が書かれます。詩題の「南澗」は南の谷川で、愚丘の南、愚渓のことでしょう。
秋の正午、淋しく澄み切った流れのあたり、つむじ風の吹くなかを歩いてゆきます。柳宗元はその山水を「始めて至りて得ること有るが若し」「遂に疲れを忘る」と肯定的に捉えようとします。だが、心はすぐに反転し、「国を去りて 魂 已に游び 人を懐いて 涙 空しく垂る」と詠うのです。