中唐79ー柳宗元
南中栄橘柚 南中に橘柚栄ゆ
橘柚懐貞質 橘柚(きつゆう)は貞質(ていしつ)を懐(いだ)き
受命此炎方 命(いのち)を此の炎方(えんぽう)に受(さず)かる
密林耀朱緑 密林(みつりん)に朱緑(しゅりょく)を耀(かがや)かし
晩歳有余芳 晩歳(ばんさい)に余芳(よほう)有り
殊風限清漢 殊風(しゅふう)は清漢(せいかん)に限られ
飛雪滞故郷 飛雪(ひせつ)は故郷に滞(とどこお)る
攀条何所歎 条(えだ)に攀(よじ)りて何の歎く所(ところ)ぞ
北望熊与湘 北のかた熊(ゆう)と湘(しょう)とを望む
⊂訳⊃
柑橘は 変わることのない操を抱いて
炎熱の地に 命をさずかる
森のなかに 朱い実と緑の葉を耀かせ
熟するころに 有り余る香りをただよわす
異俗の風が 銀河の輝きを曇らせ
飛びかう雪は 故郷にとどまっている
枝にすがって 何を歎くのか
北の方 熊山と湘山を眺める
⊂ものがたり⊃ 詩題の「橘柚」(みかんの類)は南国の特産です。柳宗元は「炎方」(炎熱の地)に流された自分を特産の橘柚に喩えます。中国の華北は疎林が多く、「森」は厳かの意味に用います。「密林」は林の密なところで、和語の森にあたるでしょう。
橘柚は森のなかにたわわに実っていると言いながら、詩は後半四句の歎きになります。「清漢」は天の河のことで、南の風が天の河の輝きを曇らせ、雪は北の故郷にとどまって南までは降ってきません。
「条に攀りて何の歎く所ぞ」は鈴なりの橘柚をわが身に喩えるもので、豊かに実った自分は枝にすがりついて北の方、熊山と湘山を望むだけだと歎きます。異俗のなかで朽ちていく自分に我慢できず、恨みと切なさを胸に抱きながら長安の方を見詰め、空しさを噛みしめるのです。
南中栄橘柚 南中に橘柚栄ゆ
橘柚懐貞質 橘柚(きつゆう)は貞質(ていしつ)を懐(いだ)き
受命此炎方 命(いのち)を此の炎方(えんぽう)に受(さず)かる
密林耀朱緑 密林(みつりん)に朱緑(しゅりょく)を耀(かがや)かし
晩歳有余芳 晩歳(ばんさい)に余芳(よほう)有り
殊風限清漢 殊風(しゅふう)は清漢(せいかん)に限られ
飛雪滞故郷 飛雪(ひせつ)は故郷に滞(とどこお)る
攀条何所歎 条(えだ)に攀(よじ)りて何の歎く所(ところ)ぞ
北望熊与湘 北のかた熊(ゆう)と湘(しょう)とを望む
⊂訳⊃
柑橘は 変わることのない操を抱いて
炎熱の地に 命をさずかる
森のなかに 朱い実と緑の葉を耀かせ
熟するころに 有り余る香りをただよわす
異俗の風が 銀河の輝きを曇らせ
飛びかう雪は 故郷にとどまっている
枝にすがって 何を歎くのか
北の方 熊山と湘山を眺める
⊂ものがたり⊃ 詩題の「橘柚」(みかんの類)は南国の特産です。柳宗元は「炎方」(炎熱の地)に流された自分を特産の橘柚に喩えます。中国の華北は疎林が多く、「森」は厳かの意味に用います。「密林」は林の密なところで、和語の森にあたるでしょう。
橘柚は森のなかにたわわに実っていると言いながら、詩は後半四句の歎きになります。「清漢」は天の河のことで、南の風が天の河の輝きを曇らせ、雪は北の故郷にとどまって南までは降ってきません。
「条に攀りて何の歎く所ぞ」は鈴なりの橘柚をわが身に喩えるもので、豊かに実った自分は枝にすがりついて北の方、熊山と湘山を望むだけだと歎きます。異俗のなかで朽ちていく自分に我慢できず、恨みと切なさを胸に抱きながら長安の方を見詰め、空しさを噛みしめるのです。