中唐76ー柳宗元
聞黄鸝 黄鸝を聞く (前半十二句)
倦聞子規朝暮声 聞くに倦(あ)きたり 子規(ほととぎす)の朝暮(ちょうぼ)の声
不意忽有黄鸝鳴 意(おも)わざりき 忽(たちま)ち黄鸝(こうり)の鳴く有らんとは
一声夢断楚江曲 一声(ひとこえ)に夢は断たる 楚江(そこう)の曲(くま)
満眼故園春意生 満眼(まんがん)の故園(こえん) 春意(しゅんい)生ず
目極千里無山河 目は千里を極めて山河(さんが)無く
麦芒際天揺青波 麦の芒(ほ)は天に際(まじ)わりて青波(せいは)揺らぐ
王畿優本少賦役 王畿(おうき)は本(もと)に優しくして賦役(ふえき)少なく
務閑酒熟饒経過 務めは閑(のど)かにして酒(さけ)熟し経過(ゆきき)を饒(ゆた)かにす
此時晴煙最深処 此の時 晴煙(せいえん) 最も深き処(ところ)
舎南巷北遥相語 舎南(しゃなん)巷北(こうほく) 遥かに相語(あいかた)る
翻日迥度昆明飛 日に翻(ひるがえ)り迥(はる)かに昆明(こんめい)に度(わた)りて飛び
凌風邪看細柳翥 風を凌(しの)ぎ邪(なな)めに細柳(さいりゅう)を看(み)て翥(と)ぶ
⊂訳⊃
朝夕の杜鵑 その鳴き声にも飽いたころ
思いがけず 鶯の声を聞く
その一声に 楚の川の岸辺の夢は断ち切られ
都の春 故郷の庭が 目いっぱいに湧き起こる
千里の彼方まで 山川の姿はみえず
天に届く麦の穂 緑の波が揺らいでいる
畿内の地は 優遇されて賦役もなく
仕事も長閑 酒も熟して人々の行き来も盛んだ
そのとき 晴れた霞の奥深いところ
街並みの南と北で 鳥は遥かに鳴き交わす
陽の光に翼を翻し 昆明の池を飛び越え
柳の枝を斜に見て 風をついて飛び上がる
⊂ものがたり⊃ 柳宗元は自然に救いを求めようとしますが、永州八愚の山水と親しむことは官界のへの思いとは別の意味で故郷を慕うことにつながります。柳氏伝来の家は長安城内の親仁里にあり、城外西南郊の豊楽郷付近に荘園を有していました。
柳宗元は自家の荘園を愛し、在京のころは忙しい勤務の合間を縫って騎馬で往復半日の荘園に出かけました。樹木や草花の手入れをし、水を灌いでやることが楽しみのひとつでした。八愚の山水に手を加え、庭づくりに勤しむことは、故郷の荘園を思う望郷の思いにつながります。
詩題の「黄鸝」(黄鳥)は朝鮮鶯のことで、春に南海から北へ渡り、夏には長安に達します。懐かしい鶯の声を永州で聞き、長安を思い故郷を思って、望郷の思いをほとばしらせます。前半十二句のはじめ四句は主題の提示です。
「子規」(杜鵑)は晩春、躑躅の花の咲くころに鳴く江南の鳥で、中国では「不如帰(プルコェイ)」(帰るに如かず)と鳴くそうです。その鳴き声にも飽きたころ、思いがけず黄鸝の声を聞いて、都の春景色、「故園」(故郷の庭)の春が目いっぱいに湧いてきました。
つぎの八句は長安の春景色です。一面に麦畑がひろがり、住民は賦役に苦しまず、役所の勤務はのどかで酒も豊か、人々の往来もさかんです。そのとき遥かに黄鸝の鳴き交わす声がします。「昆明」は長安城の西郊にあった昆明池のことで、柳宗元は池のほとりを騎馬で豊楽郷の荘園にかよっていました。
黄鸝は昆明の池をわたり、柳の木をかすめ、風邪を切って飛びますが、それは柳宗元自身の姿でもあるでしょう。
聞黄鸝 黄鸝を聞く (前半十二句)
倦聞子規朝暮声 聞くに倦(あ)きたり 子規(ほととぎす)の朝暮(ちょうぼ)の声
不意忽有黄鸝鳴 意(おも)わざりき 忽(たちま)ち黄鸝(こうり)の鳴く有らんとは
一声夢断楚江曲 一声(ひとこえ)に夢は断たる 楚江(そこう)の曲(くま)
満眼故園春意生 満眼(まんがん)の故園(こえん) 春意(しゅんい)生ず
目極千里無山河 目は千里を極めて山河(さんが)無く
麦芒際天揺青波 麦の芒(ほ)は天に際(まじ)わりて青波(せいは)揺らぐ
王畿優本少賦役 王畿(おうき)は本(もと)に優しくして賦役(ふえき)少なく
務閑酒熟饒経過 務めは閑(のど)かにして酒(さけ)熟し経過(ゆきき)を饒(ゆた)かにす
此時晴煙最深処 此の時 晴煙(せいえん) 最も深き処(ところ)
舎南巷北遥相語 舎南(しゃなん)巷北(こうほく) 遥かに相語(あいかた)る
翻日迥度昆明飛 日に翻(ひるがえ)り迥(はる)かに昆明(こんめい)に度(わた)りて飛び
凌風邪看細柳翥 風を凌(しの)ぎ邪(なな)めに細柳(さいりゅう)を看(み)て翥(と)ぶ
⊂訳⊃
朝夕の杜鵑 その鳴き声にも飽いたころ
思いがけず 鶯の声を聞く
その一声に 楚の川の岸辺の夢は断ち切られ
都の春 故郷の庭が 目いっぱいに湧き起こる
千里の彼方まで 山川の姿はみえず
天に届く麦の穂 緑の波が揺らいでいる
畿内の地は 優遇されて賦役もなく
仕事も長閑 酒も熟して人々の行き来も盛んだ
そのとき 晴れた霞の奥深いところ
街並みの南と北で 鳥は遥かに鳴き交わす
陽の光に翼を翻し 昆明の池を飛び越え
柳の枝を斜に見て 風をついて飛び上がる
⊂ものがたり⊃ 柳宗元は自然に救いを求めようとしますが、永州八愚の山水と親しむことは官界のへの思いとは別の意味で故郷を慕うことにつながります。柳氏伝来の家は長安城内の親仁里にあり、城外西南郊の豊楽郷付近に荘園を有していました。
柳宗元は自家の荘園を愛し、在京のころは忙しい勤務の合間を縫って騎馬で往復半日の荘園に出かけました。樹木や草花の手入れをし、水を灌いでやることが楽しみのひとつでした。八愚の山水に手を加え、庭づくりに勤しむことは、故郷の荘園を思う望郷の思いにつながります。
詩題の「黄鸝」(黄鳥)は朝鮮鶯のことで、春に南海から北へ渡り、夏には長安に達します。懐かしい鶯の声を永州で聞き、長安を思い故郷を思って、望郷の思いをほとばしらせます。前半十二句のはじめ四句は主題の提示です。
「子規」(杜鵑)は晩春、躑躅の花の咲くころに鳴く江南の鳥で、中国では「不如帰(プルコェイ)」(帰るに如かず)と鳴くそうです。その鳴き声にも飽きたころ、思いがけず黄鸝の声を聞いて、都の春景色、「故園」(故郷の庭)の春が目いっぱいに湧いてきました。
つぎの八句は長安の春景色です。一面に麦畑がひろがり、住民は賦役に苦しまず、役所の勤務はのどかで酒も豊か、人々の往来もさかんです。そのとき遥かに黄鸝の鳴き交わす声がします。「昆明」は長安城の西郊にあった昆明池のことで、柳宗元は池のほとりを騎馬で豊楽郷の荘園にかよっていました。
黄鸝は昆明の池をわたり、柳の木をかすめ、風邪を切って飛びますが、それは柳宗元自身の姿でもあるでしょう。