中唐75ー柳宗元
旦携謝山人至愚池 旦に謝山人を携えて愚池に至る
新沐換軽幘 新たに沐(もく)して軽幘(けいさく)を換(か)う
暁池風露清 暁(あかつき)の池は 風露(ふうろ)清し
自諧塵外意 自(おのず)から塵外(じんがい)の意(い)に諧(かな)う
況与幽人行 況(いわ)んや幽人(ゆうじん)と行くをや
霞散衆山迥 霞(もや)は散じて衆山(しゅうざん)迥(はる)かなり
天高数雁鳴 天(てん)高くして数雁(すうがん)鳴く
機心付当路 機心(きしん) 当路(とうろ)に付(ふ)す
聊適羲皇情 聊(いささ)か羲皇(ぎこう)の情(じょう)に適(かな)う
⊂訳⊃
髪を洗い 頭巾に換える
夜明けの池に 清らかな風と露
おのずと 世間から離れた感じになり
ましてや 高雅な世捨て人と行くのだ
靄は消え 遥かに山々が見え
空高く 数羽の雁が鳴いていく
野心は 権勢の道にともなうもの
今の私は 陶淵明の羲皇の心境だ
⊂ものがたり⊃ 柳宗元は愚渓の自然に没入することで貶謫の苦しみから逃れようとし、染渓(愚渓)のほとりを散策します。湧水の美しい箇所を六か所も見つけて愚泉と名づけ、泉水の流れ出る溝を堰き止めて池をつくり、池のなかに島を配しました。それらを愚溝、愚池、愚島と名づけ、池の東に堂を建て、南に亭を置いて愚堂、愚亭と称します。染渓のほとりの要所を買い取って庭づくりをし、全体を「八愚」と呼びました。
詩題の「謝山人」(しゃさんじん)は伝不明です。詩中に「幽人」とありますので隠遁者でしょう。詩は謝山人を案内して愚池に行ったときのもので、「旦」(あした)、朝はやく軽い装いで出かけました。「軽幘」は冠の下につける頭巾のことで軽装を意味します。
結びの「機心」はたくらむ心、「当路」は執政になることを意味しますので、権謀渦巻く都の官界をさし、「聊か羲皇の情に適う」と結びます。「羲皇」は伝説上の帝王伏羲(ふくぎ)の尊称で、陶淵明が太古の純朴な人格として同感をしめす人物です。いまの自分は陶淵明と同じ心境にあると詠うのです。
旦携謝山人至愚池 旦に謝山人を携えて愚池に至る
新沐換軽幘 新たに沐(もく)して軽幘(けいさく)を換(か)う
暁池風露清 暁(あかつき)の池は 風露(ふうろ)清し
自諧塵外意 自(おのず)から塵外(じんがい)の意(い)に諧(かな)う
況与幽人行 況(いわ)んや幽人(ゆうじん)と行くをや
霞散衆山迥 霞(もや)は散じて衆山(しゅうざん)迥(はる)かなり
天高数雁鳴 天(てん)高くして数雁(すうがん)鳴く
機心付当路 機心(きしん) 当路(とうろ)に付(ふ)す
聊適羲皇情 聊(いささ)か羲皇(ぎこう)の情(じょう)に適(かな)う
⊂訳⊃
髪を洗い 頭巾に換える
夜明けの池に 清らかな風と露
おのずと 世間から離れた感じになり
ましてや 高雅な世捨て人と行くのだ
靄は消え 遥かに山々が見え
空高く 数羽の雁が鳴いていく
野心は 権勢の道にともなうもの
今の私は 陶淵明の羲皇の心境だ
⊂ものがたり⊃ 柳宗元は愚渓の自然に没入することで貶謫の苦しみから逃れようとし、染渓(愚渓)のほとりを散策します。湧水の美しい箇所を六か所も見つけて愚泉と名づけ、泉水の流れ出る溝を堰き止めて池をつくり、池のなかに島を配しました。それらを愚溝、愚池、愚島と名づけ、池の東に堂を建て、南に亭を置いて愚堂、愚亭と称します。染渓のほとりの要所を買い取って庭づくりをし、全体を「八愚」と呼びました。
詩題の「謝山人」(しゃさんじん)は伝不明です。詩中に「幽人」とありますので隠遁者でしょう。詩は謝山人を案内して愚池に行ったときのもので、「旦」(あした)、朝はやく軽い装いで出かけました。「軽幘」は冠の下につける頭巾のことで軽装を意味します。
結びの「機心」はたくらむ心、「当路」は執政になることを意味しますので、権謀渦巻く都の官界をさし、「聊か羲皇の情に適う」と結びます。「羲皇」は伝説上の帝王伏羲(ふくぎ)の尊称で、陶淵明が太古の純朴な人格として同感をしめす人物です。いまの自分は陶淵明と同じ心境にあると詠うのです。