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ティェンタオの自由訳漢詩 2077

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 中唐74ー柳宗元
    渓居               渓に居む

  久為簪組累     久しく簪組(しんそ)の累(わずら)いを為(な)し
  幸此南夷謫     幸いに此の南夷(なんい)に謫(たく)せらる
  閑依農圃隣     閑(しず)かに農圃(のうほ)の隣に依(よ)り
  偶似山林客     偶々(たまたま)山林の客に似たり
  暁耕翻露草     暁(あかつき)に耕して露草(ろそう)を翻えし
  夜榜響渓石     夜に榜(ふねこ)ぎて渓石(けいせき)を響(ひび)かす
  来往不逢人     来往(らいおう)  人に逢わず
  長歌楚天碧     長歌(ちょうか)すれば楚天(そてん)碧(あお)し

  ⊂訳⊃
          ながらく  煩わしい宮仕えをしてきたが
          幸いにも  南の蛮地に流される
          のどかに  田圃のとなりに住まい
          端なくも   山林の隠者のような身になる
          朝から畑に出て   露草の土地を耕し
          夜には谷川の石に  櫂の音を響かせる
          往き来しても     人に出会わず
          声高らかに詠えば  楚天は青く澄んでいる


 ⊂ものがたり⊃ 湘口館を訪れてほどなく、重要な転機がやってきます。柳宗元の散文「始めて西山を得て宴遊するの記」によると、九月二十八日に法華寺の西亭に坐して西山を望み、「始めて指さして之れを異とす」と言っています。
 西山(糧子山)は永州城の西、瀟水を渡った西岸にあり、柳宗元はその遠望に強く心を惹かれます。対岸に渡ると、西山の北麓に染渓という小流があり、瀟水に注いでいます。柳宗元は流れに沿った藪を従僕に切り開かせ、雑草を払いながら山の高いところに登りました。西山の頂上から永州の全景を眺め、はじめて貶謫の身であることを忘れ、大きな開放感を味合うことができました。
 柳宗元はそのご幾度も染渓を訪ね、染渓に愚渓という名をあたえました。鈷潭(こぼたん)という淵をみつけ、流れに面した小丘を気に入って愚丘と名づけ、私費を投じて私有地にしました。貯えていた俸禄の一部で買い取ったのです。
 翌元和五年(810)、柳宗元は後妻を娶り、その年の秋に愚渓のほとりに移居しています。詩は転居して間もなくの作品です。全体として陶淵明の詩興に近く、「簪組」(簪と組紐)、つまり官界の名利を離れて農民の生活の近くにいることに喜びを感じています。少なくともそのように詠おうとしており、中四句二組の対句は田園に帰居した陶淵明の姿に似ています。
 結びは「長歌すれば楚天碧し」と楚地にあることの爽やかさを詠いあげており、それまでの長篇古詩の鬱屈した心情は一変しています。

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