中唐71ー柳宗元
自衡陽移桂十余本 衡陽より桂十余本を移し
植零陵所住精舎 零陵の住む所の精舎に植う (後半八句)
傾筐壅故壤 傾筐(けいきょう) 故壤(こじょう)を壅(ふさ)ぎ
棲息期鸞鷟 棲息(せいそく) 鸞鷟(らんさく)を期(き)す
路遠清涼宮 路(みち)遠し 清涼(せいりょう)の宮(みや)
一雨悟無学 一たび雨ふれば学ぶこと無きを悟(さと)る
南人始珍重 南人(なんじん)は始めて珍重(ちんちょう)せん
微我誰先覚 我れ微(な)かりせば誰か先ず覚(さと)らん
芳意不可伝 芳意(ほうい) 伝う可(べ)からず
丹心徒自渥 丹心(たんしん) 徒(いたず)らに自(おのず)から渥(あつ)し
⊂訳⊃
竹籠に土を詰めて持ちかえり
住んでいる寺に植えて 鳳凰が飛んでくるようにしたい
清涼宮への路は遠いが
ひと雨降れば みずからの力で伸びていく
南国の人々は これを珍重するようになるだろう
私がいなかったら 誰がこの木に気づいたろうか
木犀のよい香りは 言葉では伝えられない
熱い思いを 心に噛み締めるばかりである
⊂ものがたり⊃ 後半八句のはじめ四句は、竹籠に土を詰めて木犀の幼木を持ち帰り、それを法華寺の境内に植えて「鸞鷟」(鳳凰の一種)が飛んで来るような聖なる場所にしたいと思うのです。「清涼宮」は不明ですが、桂の木が生えていたという伝承があったのでしょう。ここには都のイメージがあり、都への路は遠いが木犀には自力で繁茂する力があるので、ひと雨降れば元気に育つだろうと詠うのです。
結びの四句では木犀が育ったあとのことを想像します。最後の二句で、木犀のよい香りを「芳意 伝う可からず」と詠い、みずからの憂国の思いに喩えて「丹心 徒らに自から渥し」といいます。
自衡陽移桂十余本 衡陽より桂十余本を移し
植零陵所住精舎 零陵の住む所の精舎に植う (後半八句)
傾筐壅故壤 傾筐(けいきょう) 故壤(こじょう)を壅(ふさ)ぎ
棲息期鸞鷟 棲息(せいそく) 鸞鷟(らんさく)を期(き)す
路遠清涼宮 路(みち)遠し 清涼(せいりょう)の宮(みや)
一雨悟無学 一たび雨ふれば学ぶこと無きを悟(さと)る
南人始珍重 南人(なんじん)は始めて珍重(ちんちょう)せん
微我誰先覚 我れ微(な)かりせば誰か先ず覚(さと)らん
芳意不可伝 芳意(ほうい) 伝う可(べ)からず
丹心徒自渥 丹心(たんしん) 徒(いたず)らに自(おのず)から渥(あつ)し
⊂訳⊃
竹籠に土を詰めて持ちかえり
住んでいる寺に植えて 鳳凰が飛んでくるようにしたい
清涼宮への路は遠いが
ひと雨降れば みずからの力で伸びていく
南国の人々は これを珍重するようになるだろう
私がいなかったら 誰がこの木に気づいたろうか
木犀のよい香りは 言葉では伝えられない
熱い思いを 心に噛み締めるばかりである
⊂ものがたり⊃ 後半八句のはじめ四句は、竹籠に土を詰めて木犀の幼木を持ち帰り、それを法華寺の境内に植えて「鸞鷟」(鳳凰の一種)が飛んで来るような聖なる場所にしたいと思うのです。「清涼宮」は不明ですが、桂の木が生えていたという伝承があったのでしょう。ここには都のイメージがあり、都への路は遠いが木犀には自力で繁茂する力があるので、ひと雨降れば元気に育つだろうと詠うのです。
結びの四句では木犀が育ったあとのことを想像します。最後の二句で、木犀のよい香りを「芳意 伝う可からず」と詠い、みずからの憂国の思いに喩えて「丹心 徒らに自から渥し」といいます。