中唐69ー柳宗元
構法華寺西亭 法華寺に西亭を構う (後六句)
賞心難久留 賞心(しょうしん) 久しくは留(とど)め難(がた)し
離念来相関 離念(りねん) 来たりて相関(あいかか)わる
北望間親愛 北のかたを望めば親愛を間(へだ)て
南瞻雑夷蛮 南のかたを瞻(み)れば夷蛮(ばんい)に雑(まじ)わる
置之勿復道 之れを置きて復(ま)た道(い)う勿(な)かれ
且寄須臾閑 且(しば)らく須臾(しゅゆ)の閑(しず)けきに寄せん
⊂訳⊃
だが 山水を愛でる心はいつまでも続かず
離京の思いが まつわりついて離れない
北を眺めれば 親しい人とへだてられ
南を見れば 蛮夷の者とまじり合う
ああ こんな思いは捨て去って もう言うまい
ほんのいっときの 閑雅の時を楽しむのだ
⊂ものがたり⊃ 柳宗元は自然に慰藉を求めようとしますが、その気持ちは結びの六句で一転します。「賞心」も謝霊雲がしばしば用いる用語で、山水の美を愛で没入することによって天地万物の真理を体得しようとするものです。だが、そうした自然を愛でる心はいつまでもつづかず、すぐに「離念」(都を離れたという思い)に覆われてしまいます。
北を眺めると「親愛」の人々に隔てられ、南に目を移せば「夷蛮」の人々のなかにいます。貶謫の身の悲嘆が胸に湧き起こってきますが、そんな思いは捨て去ってもう口にしまいといいます。いっときでいいから山水の美を楽しもうと、揺れ動く心の内を赤裸々に詠います。
柳宗元は山水の美を愛でることで貶謫の悲哀と憤懣を忘れ、みずからを慰めようとしますが、そうしたものでは満たされない苦脳のなかにいます。
構法華寺西亭 法華寺に西亭を構う (後六句)
賞心難久留 賞心(しょうしん) 久しくは留(とど)め難(がた)し
離念来相関 離念(りねん) 来たりて相関(あいかか)わる
北望間親愛 北のかたを望めば親愛を間(へだ)て
南瞻雑夷蛮 南のかたを瞻(み)れば夷蛮(ばんい)に雑(まじ)わる
置之勿復道 之れを置きて復(ま)た道(い)う勿(な)かれ
且寄須臾閑 且(しば)らく須臾(しゅゆ)の閑(しず)けきに寄せん
⊂訳⊃
だが 山水を愛でる心はいつまでも続かず
離京の思いが まつわりついて離れない
北を眺めれば 親しい人とへだてられ
南を見れば 蛮夷の者とまじり合う
ああ こんな思いは捨て去って もう言うまい
ほんのいっときの 閑雅の時を楽しむのだ
⊂ものがたり⊃ 柳宗元は自然に慰藉を求めようとしますが、その気持ちは結びの六句で一転します。「賞心」も謝霊雲がしばしば用いる用語で、山水の美を愛で没入することによって天地万物の真理を体得しようとするものです。だが、そうした自然を愛でる心はいつまでもつづかず、すぐに「離念」(都を離れたという思い)に覆われてしまいます。
北を眺めると「親愛」の人々に隔てられ、南に目を移せば「夷蛮」の人々のなかにいます。貶謫の身の悲嘆が胸に湧き起こってきますが、そんな思いは捨て去ってもう口にしまいといいます。いっときでいいから山水の美を楽しもうと、揺れ動く心の内を赤裸々に詠います。
柳宗元は山水の美を愛でることで貶謫の悲哀と憤懣を忘れ、みずからを慰めようとしますが、そうしたものでは満たされない苦脳のなかにいます。