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ティェンタオの自由訳漢詩 1858

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 南北朝59ー陰鏗
   渡青草湖           青草湖を渡る

  洞庭青溜満     洞庭(どうてい)  青溜(せいりゅう)満ち
  平湖錦帆張     平湖(へいこ)   錦帆(きんぱん)張る
  阮水桃花色     阮水(げんすい) 桃花(とうか)の色
  湘流杜若香     湘流(しょうりゅう)  杜若(とじゃく)の香(かおり)
  穴去茅山近     穴は茅山(ぼうざん)を去ること近く
  江連巫峡長     江(こう)は巫峡(ふきょう)と連なって長し
  帯天澄廻碧     天を帯(お)びて廻碧(かいへき)澄み
  映日動浮光     日を映じて浮光(ふこう)動く
  行舟逗遠樹     行舟(こうしゅう)  遠樹(えんじゅ)に逗(とどま)り
  度鳥息危檣     度鳥(どちょう)   危檣(きしょう)に息(いこ)う
  滔滔不可測     滔滔(とうとう)として測(はか)る可(べ)からず
  一葦詎能航     一葦(いちい)  詎(なん)ぞ能(よ)く航(こう)せん

  ⊂訳⊃
          春の洞庭湖に  水は満ち
          帆を張って    湖上を走る
          阮水は  桃源郷の花の色
          湘水は  杜若の香を放つ
          洞窟には   仙境茅山の趣きがあり
          江の流れは  遥かな巫峡と連なる
          紺碧の水は  天空とまじわり
          日に映えて  波は煌めく
          舟は進むが  遠くの樹々はいつまでも遠く
          渡り鳥が    帆柱の上で羽をやすめる
          この広々とした果てしない湖を
          一艘の小舟で  どうして渡りきれようか


 ⊂ものがたり⊃ 陳王朝を建てた武帝陳覇先(ちんはせん)は南渡の漢人ではなく、土着の家の生まれでした。建国したとき五十五歳になっており、在位二年で亡くなり、兄の子の陳蒨(ちんせん)が位を継いで文帝になります。
 武帝が嶺南(広東地方)から連れて来た兵はならず者が多かったので、政権を取ると前朝の知識人を用いて政府を運用する必要がありました。陰鏗(いんこう)はそうした知識人のひとりです。陳の建国のとき四十八歳くらいであったと見られ、前朝の法曹参軍でした。
 詩題の「青草湖」(せいそうこ)は洞庭湖の東南部をさす名称でしたが、現在は陸化してなくなっています。中四聯の対句を前後の各二句で囲む形式で、はじめ二句の状況設定は喜びと勢いに満ちています。陳が湖南地方を制したときの頌詩と考えていいでしょう。
 中四聯の対句。まず「阮水」と「湘流」、洞庭湖にそそぐ二つの大江をあげて、川の美しさを讃えます。「杜若」は楚辞に頻出する香草で、岸辺を褒めるのでしょう。つづく二聯の対句は洞庭湖の広さと美しさを描いて、繊細かつ的確な叙景です。
 結びの「一葦」は一艘の小舟の意味です。広い洞庭湖は一艘の小舟では渡りきれない、天子の軍隊の力があってはじめて渡ることができると、頌詞で結びます。
 

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