中唐64ー盧仝
守歳 守歳
老来経節臘 老来(ろうらい) 節臘(せつろう)を経(へ)て
楽事甚悠悠 事を楽しむこと甚(はなは)だ悠悠(ゆうゆう)
不及児童日 児童の日に及ばず
都盧不解愁 都盧(とろ)愁(うれ)いを解かず
⊂訳⊃
冬至や大晦日になっても
老人は悩みをかかえ 楽しくもない
子供のころのように 曲芸をみて
愁いを解いたりはできないのだ
⊂ものがたり⊃ 盧仝(ろどう:?ー835)は范陽(河北省涿県)の人とも済源(河南省泌陽県)の人ともいいます。若いころには仕官に関心がなく、少室山(嵩山の一峰)に籠もって道教を学びました。詩は李白の作風を好み、韓愈から認められました。古文派と目していいと思いますが、朝廷の腐敗をそしる作品が多く、評判はよくなかったようです。
詩題の「守歳」(しゅさい)は除夜のことで、年の瀬に老いを嘆く詩です。「節臘」は冬至と晦日のことで、唐代では新年と同様に冬至を祝いました。「悠悠」は『詩経』周南の「関雎」を踏まえ、眠れずに輾転反側(寝返り)をうつことです。「都盧」は軽業・曲芸の類で、今日では雑技といっています。
守歳 守歳
老来経節臘 老来(ろうらい) 節臘(せつろう)を経(へ)て
楽事甚悠悠 事を楽しむこと甚(はなは)だ悠悠(ゆうゆう)
不及児童日 児童の日に及ばず
都盧不解愁 都盧(とろ)愁(うれ)いを解かず
⊂訳⊃
冬至や大晦日になっても
老人は悩みをかかえ 楽しくもない
子供のころのように 曲芸をみて
愁いを解いたりはできないのだ
⊂ものがたり⊃ 盧仝(ろどう:?ー835)は范陽(河北省涿県)の人とも済源(河南省泌陽県)の人ともいいます。若いころには仕官に関心がなく、少室山(嵩山の一峰)に籠もって道教を学びました。詩は李白の作風を好み、韓愈から認められました。古文派と目していいと思いますが、朝廷の腐敗をそしる作品が多く、評判はよくなかったようです。
詩題の「守歳」(しゅさい)は除夜のことで、年の瀬に老いを嘆く詩です。「節臘」は冬至と晦日のことで、唐代では新年と同様に冬至を祝いました。「悠悠」は『詩経』周南の「関雎」を踏まえ、眠れずに輾転反側(寝返り)をうつことです。「都盧」は軽業・曲芸の類で、今日では雑技といっています。