中唐53ー孟郊
遊子吟 遊子吟
慈母手中線 慈母(じぼ) 手中(しゅちゅう)の線(いと)
遊子身上衣 遊子(ゆうし) 身上(しんじょう)の衣(ころも)
臨行密密縫 行(こう)に臨んで密密(みつみつ)に縫(ぬ)う
意恐遅遅帰 意は恐る 遅遅(ちち)として帰らんことを
誰言寸草心 誰か言う 寸草(すんそう)の心
報得三春暉 三春(さんしゅん)の暉(き)に報(むく)い得(え)んとは
⊂訳⊃
慈愛に満ちた母上が 手に持つ糸
旅に出る私のための旅の衣だ
旅に臨んで ひと針ひと針縫いながら
心に内では いつ帰るのかと案じている
小さな草の芽にひとしいわが心
春の陽ざしのような親心に どうして酬いることができようか
⊂ものがたり⊃ 孟郊(もうこう:751ー814)は湖州武康(浙江省清県武康)の人。はじめ嵩山に隠棲していましたが、母親のたっての願いで都へ出、韓愈らと親交を結びます。貞元十二年(796)に四十六歳で進士に及第し、貞元十八年(802)に溧陽(江蘇省溧陽県)の県尉に任じられ、老母を任地に呼び寄せました。
詩題の「遊子吟」(ゆうしぎん)は楽府題ですが、自注に「母を溧上に迎えて作る」とあり、溧陽の県尉になって老母を任地に呼び寄せたときの作です。六句からなる五言古詩で、はじめの二句は対句になっています。
「遊子吟」といえば南北朝以来、旅する夫を思う妻を主題としてきましたが、ここでの「遊子」は旅に出る作者自身のことです。中二句は母親のしぐさを描きながら、その心を想像します。「行」は命じられて出張するのでしょう。
結びの二句は作者の心境で、「三春の暉」は春三か月の陽の光のような母の愛です。そんな大きな愛情に酬いることができると誰が言えようか、言えはしないと感謝の気持ちを反語で強調します。
遊子吟 遊子吟
慈母手中線 慈母(じぼ) 手中(しゅちゅう)の線(いと)
遊子身上衣 遊子(ゆうし) 身上(しんじょう)の衣(ころも)
臨行密密縫 行(こう)に臨んで密密(みつみつ)に縫(ぬ)う
意恐遅遅帰 意は恐る 遅遅(ちち)として帰らんことを
誰言寸草心 誰か言う 寸草(すんそう)の心
報得三春暉 三春(さんしゅん)の暉(き)に報(むく)い得(え)んとは
⊂訳⊃
慈愛に満ちた母上が 手に持つ糸
旅に出る私のための旅の衣だ
旅に臨んで ひと針ひと針縫いながら
心に内では いつ帰るのかと案じている
小さな草の芽にひとしいわが心
春の陽ざしのような親心に どうして酬いることができようか
⊂ものがたり⊃ 孟郊(もうこう:751ー814)は湖州武康(浙江省清県武康)の人。はじめ嵩山に隠棲していましたが、母親のたっての願いで都へ出、韓愈らと親交を結びます。貞元十二年(796)に四十六歳で進士に及第し、貞元十八年(802)に溧陽(江蘇省溧陽県)の県尉に任じられ、老母を任地に呼び寄せました。
詩題の「遊子吟」(ゆうしぎん)は楽府題ですが、自注に「母を溧上に迎えて作る」とあり、溧陽の県尉になって老母を任地に呼び寄せたときの作です。六句からなる五言古詩で、はじめの二句は対句になっています。
「遊子吟」といえば南北朝以来、旅する夫を思う妻を主題としてきましたが、ここでの「遊子」は旅に出る作者自身のことです。中二句は母親のしぐさを描きながら、その心を想像します。「行」は命じられて出張するのでしょう。
結びの二句は作者の心境で、「三春の暉」は春三か月の陽の光のような母の愛です。そんな大きな愛情に酬いることができると誰が言えようか、言えはしないと感謝の気持ちを反語で強調します。