中唐50ー韓愈
山石 山石 (前半十句)
山石犖确行径微 山石(さんせき) 犖确(らくかく)として 行径(こうけい)微(かす)かなり
黄昏到寺蝙蝠飛 黄昏(こうこん) 寺に到れば 蝙蝠(へんぷく)飛ぶ
昇堂坐階新雨足 堂に昇って階(かい)に坐すれば新雨(しんう)足り
芭蕉葉大支子肥 芭蕉の葉は大きく支子(くちなし)は肥(こ)えたり
僧言古壁仏画好 僧は言う 古壁(こへき)の仏画(ぶつが)好しと
以火来照所見稀 火を以て来たり照らすに 見ゆる所(ところ)稀(かす)かなり
鋪牀払席置羮飯 牀(しょう)を鋪(し)き席を払って羮飯(こうはん)を置けば
疏糲亦足飽我飢 疏糲(それい)も亦(ま)た我が飢(うえ)を飽(あ)かしむるに足れり
夜深静臥百虫絶 夜(よる)深く静かに臥(が)すれば百虫(ひゃくちゅう)絶え
清月出嶺光入扉 清月(せいげつ) 嶺(みね)を出(い)でて光は扉に入る
⊂訳⊃
山道は石ころだらけ 消え入りそうな細い径だ
日暮れに寺につくと 蝙蝠が飛んでいた
本堂の階段に坐せば 秋雨をたっぷり受けて
芭蕉の葉はおおきく 梔子の実は肥えている
「壁の仏画はいいものですよ」と寺の僧が言い
松明で照らしてくれたが ぼんやりと見えるだけだ
床をのべ敷物の埃を払い 吸い物と飯を並べてくれる
玄米の飯は 空き腹を満たすのに充分だった
夜が更けて静かに横になる 虫の声ははたと止み
山の上に清らかな月が出て 扉から光が射してくる
⊂ものがたり⊃ 唐代に公用文として広く行われていたのは南北朝時代に成立した四六駢儷文(しろくべんれいぶん)でした。韓愈はその技巧本位、形式重視の文体に反対をとなえ、秦漢時代の自由達意の文体、古文の復活を主張します。
詩題の「山石」(さんせき)は冒頭の二字をとったものですが、第一句自体がこのころの韓愈の不安定な立場を示すものでしょう。貞元十五年(799)の秋、三十二歳の韓愈は武寧節度使張建封(ちょうけんぽう)の幕下に入って節度推官になり、徐州(江蘇省徐州市)に行きました。だが、節度使と意見が合わず、貞元十六年の秋に徐州を離れ、洛陽や長安を行き来していました。
詩は貞元十七年(801)七月二十二日、門下の三人を伴なって洛陽北郊の恵林寺に遊んだときのもので、論理を積み上げていくような順序正しい緻密な詩です。はじめの四句は序の部分で、石ころだらけの径をたどって日暮れに恵林寺に着きます。「新雨」は新しく降った雨で、秋雨が樹々を潤しています。
つぎの六句は寺に着いたあとの様子。寺僧が火をかざして壁の絵を見せますが、ぼんやりとしていて見えないというのも比喩的です。
山石 山石 (前半十句)
山石犖确行径微 山石(さんせき) 犖确(らくかく)として 行径(こうけい)微(かす)かなり
黄昏到寺蝙蝠飛 黄昏(こうこん) 寺に到れば 蝙蝠(へんぷく)飛ぶ
昇堂坐階新雨足 堂に昇って階(かい)に坐すれば新雨(しんう)足り
芭蕉葉大支子肥 芭蕉の葉は大きく支子(くちなし)は肥(こ)えたり
僧言古壁仏画好 僧は言う 古壁(こへき)の仏画(ぶつが)好しと
以火来照所見稀 火を以て来たり照らすに 見ゆる所(ところ)稀(かす)かなり
鋪牀払席置羮飯 牀(しょう)を鋪(し)き席を払って羮飯(こうはん)を置けば
疏糲亦足飽我飢 疏糲(それい)も亦(ま)た我が飢(うえ)を飽(あ)かしむるに足れり
夜深静臥百虫絶 夜(よる)深く静かに臥(が)すれば百虫(ひゃくちゅう)絶え
清月出嶺光入扉 清月(せいげつ) 嶺(みね)を出(い)でて光は扉に入る
⊂訳⊃
山道は石ころだらけ 消え入りそうな細い径だ
日暮れに寺につくと 蝙蝠が飛んでいた
本堂の階段に坐せば 秋雨をたっぷり受けて
芭蕉の葉はおおきく 梔子の実は肥えている
「壁の仏画はいいものですよ」と寺の僧が言い
松明で照らしてくれたが ぼんやりと見えるだけだ
床をのべ敷物の埃を払い 吸い物と飯を並べてくれる
玄米の飯は 空き腹を満たすのに充分だった
夜が更けて静かに横になる 虫の声ははたと止み
山の上に清らかな月が出て 扉から光が射してくる
⊂ものがたり⊃ 唐代に公用文として広く行われていたのは南北朝時代に成立した四六駢儷文(しろくべんれいぶん)でした。韓愈はその技巧本位、形式重視の文体に反対をとなえ、秦漢時代の自由達意の文体、古文の復活を主張します。
詩題の「山石」(さんせき)は冒頭の二字をとったものですが、第一句自体がこのころの韓愈の不安定な立場を示すものでしょう。貞元十五年(799)の秋、三十二歳の韓愈は武寧節度使張建封(ちょうけんぽう)の幕下に入って節度推官になり、徐州(江蘇省徐州市)に行きました。だが、節度使と意見が合わず、貞元十六年の秋に徐州を離れ、洛陽や長安を行き来していました。
詩は貞元十七年(801)七月二十二日、門下の三人を伴なって洛陽北郊の恵林寺に遊んだときのもので、論理を積み上げていくような順序正しい緻密な詩です。はじめの四句は序の部分で、石ころだらけの径をたどって日暮れに恵林寺に着きます。「新雨」は新しく降った雨で、秋雨が樹々を潤しています。
つぎの六句は寺に着いたあとの様子。寺僧が火をかざして壁の絵を見せますが、ぼんやりとしていて見えないというのも比喩的です。