南北朝57ー歌謠
隴頭歌 隴頭歌
隴頭流水 隴頭(ろうとう)の流水(りゅうすい)
流離山下 山下(さんか)に流離(りゅうり)す
念吾一身 念(おも)う 吾(わ)れ一身
飄然曠野 曠野(こうや)に飄然(ひょうぜん)たり
朝発欣城 朝(あした)に欣城(きんじょう)を発し
暮宿隴頭 暮(くれ)に隴頭(ろうとう)に宿る
寒不能語 寒くして語(かた)る能(あた)わず
舌巻入喉 舌(した)巻いて喉(のど)に入る
隴頭流水 隴頭の流水
鳴声嗚咽 鳴く声 嗚咽(おえつ)す
遥望秦川 遥かに秦川(しんせん)を望めば
心肝断絶 心肝(しんかん) 断絶(だんぜつ)す
⊂訳⊃
隴山から流れ出る水は
山の麓を流れ去る
思えば この身
ひとり曠野にさすらう
朝に欣城の街を出て
夕べには隴山の麓に宿る
寒くて物が言えず
舌は喉まで巻き上がる
隴山から流れ出る水は
哀しげに咽び泣く
遥かに関中を望むと
腸も千切れるほどだ
⊂ものがたり⊃ 四言四句の歌三首が一連の主題を追って連なり、孤独の心情を詠っています。北朝の歌謠が南朝的な詩に転化していく姿が示されていると言えるでしょう。「隴頭」は隴山の麓もしくは隴阪(ろうはん:甘粛省甘谷県)を意味し、隴阪は越えるのに七日を要するほどの険路でした。
第一首は自分を隴山から流れ出る水に喩え、流浪の身であることを詠います。二首目は朝、「欣城」(不明)を発って隴山の麓で一泊しますが、寒さで口も利けないほどです。「舌巻いて喉に入る」の喩えは素朴で真実味があります。
三首目は、はじめに一首目の冒頭の句を繰り返し、二句目を流れの音に変えています。詩の技巧の向上が見て取れる部分です。「秦川」は秦の川の沿岸の土地という意味で、隴山から東、函谷関までの関中平野を指します。これから向かおうとする「秦川」の地を望むと「心肝 断絶す」と言っており、なにか苦しみを抱えているようです。
隴頭歌 隴頭歌
隴頭流水 隴頭(ろうとう)の流水(りゅうすい)
流離山下 山下(さんか)に流離(りゅうり)す
念吾一身 念(おも)う 吾(わ)れ一身
飄然曠野 曠野(こうや)に飄然(ひょうぜん)たり
朝発欣城 朝(あした)に欣城(きんじょう)を発し
暮宿隴頭 暮(くれ)に隴頭(ろうとう)に宿る
寒不能語 寒くして語(かた)る能(あた)わず
舌巻入喉 舌(した)巻いて喉(のど)に入る
隴頭流水 隴頭の流水
鳴声嗚咽 鳴く声 嗚咽(おえつ)す
遥望秦川 遥かに秦川(しんせん)を望めば
心肝断絶 心肝(しんかん) 断絶(だんぜつ)す
⊂訳⊃
隴山から流れ出る水は
山の麓を流れ去る
思えば この身
ひとり曠野にさすらう
朝に欣城の街を出て
夕べには隴山の麓に宿る
寒くて物が言えず
舌は喉まで巻き上がる
隴山から流れ出る水は
哀しげに咽び泣く
遥かに関中を望むと
腸も千切れるほどだ
⊂ものがたり⊃ 四言四句の歌三首が一連の主題を追って連なり、孤独の心情を詠っています。北朝の歌謠が南朝的な詩に転化していく姿が示されていると言えるでしょう。「隴頭」は隴山の麓もしくは隴阪(ろうはん:甘粛省甘谷県)を意味し、隴阪は越えるのに七日を要するほどの険路でした。
第一首は自分を隴山から流れ出る水に喩え、流浪の身であることを詠います。二首目は朝、「欣城」(不明)を発って隴山の麓で一泊しますが、寒さで口も利けないほどです。「舌巻いて喉に入る」の喩えは素朴で真実味があります。
三首目は、はじめに一首目の冒頭の句を繰り返し、二句目を流れの音に変えています。詩の技巧の向上が見て取れる部分です。「秦川」は秦の川の沿岸の土地という意味で、隴山から東、函谷関までの関中平野を指します。これから向かおうとする「秦川」の地を望むと「心肝 断絶す」と言っており、なにか苦しみを抱えているようです。