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ティェンタオの自由訳漢詩 2050

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 中唐47ー崔護
    人面桃花             人面桃花

  去年今日此門中   去年の今日(こんにち)  此の門の中(うち)
  人面桃花相映紅   人面(じんめん)  桃花(とうか)  相映じて紅(くれない)なり
  人面秖今何処去   人面  秖今(ただいま)  何(いず)れの処(ところ)にか去る
  桃花依旧笑春風   桃花  旧に依(よ)って  春風(しゅんぷう)に笑む

  ⊂訳⊃
          去年のこんにち     この門の中で

          あの娘の顔と桃の花  互に映えて美しかった

          あの娘はいったい    どこへ行ってしまったのか

          桃の花だけは変わらずに  春風のなかで微笑んでいる


 ⊂ものがたり⊃ 崔護(さいご)は生地不明。貞元十二年(796)、進士に及第しました。累進して文宗の大和三年(829)に京兆尹から御史大夫になり、広南節度使に至ります。崔護も伝奇に取り上げられ、伝奇では定州博陵(河北省定県)の人になっており、進士には及第しなかったとなっています。
 掲詩の「人面桃花」は伝奇に挿入されている詩で、原文に詩題はありません。だから仮題になります。伝奇では進士に落第した年の春、清明節の日に長安の南郊を散歩していると小さな荘園があり、喉が渇いたので水を所望しました。
 そのとき水を持って出てきた娘(こ)の美しさが忘れられず、一年後の清明節の日にまたその屋敷を訪ねると、門は固く閉められ、叩いても誰も出て来ません。そこで娘はいなくなったと思い、門扉に上の詩を書きつけて立ち去りました。
 しかし、気になるので数日後にまた屋敷を訪れると、なかから大勢の人の泣き声がします。門を叩くと娘の父親が出てきて、娘が扉の詩を見てもうあの人には会えないと歎き悲しんで死んでしまったといいます。
 驚いた崔護は娘の部屋に行き、娘を抱きしめて「某(それがし)は斯(ここ)に在り 某は斯に在り」と呼びかけると、娘は目を開いて蘇生し、二人はめでたく結婚した、という話になっています。

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