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ティェンタオの自由訳漢詩 2049

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 中唐46ー張侹
     寄人                人に寄す

  酷憐風月為多情   酷(はなは)だ風月を憐(あわれ)むは  多情(たじょう)なる為なり
  還到春時別恨生   還(ま)た春時(しゅんじ)に到って   別恨(べつこん)生ず
  倚柱尋思倍惆悵   柱に倚(よ)って尋思(じんし)すれば  倍々(ますます)惆悵(ちゅうちょう)
  一場春夢不分明   一場(いちじょう)の春夢(しゅんむ)  分明(ぶんめい)ならず

  ⊂訳⊃
          風月に心ひかれるのは  感性が豊かであるからだ

          今年も春がやってきて  別れの歎きがよみがえる

          柱に凭れて思い返せば  悲しみはつのる

          夢のような春の日も    今はおぼろな記憶である


 ⊂ものがたり⊃ 張侹(ちょうてい)は生没年不明、生地も経歴も詳しいことは分かりませんが、艷詩の作者として一詩を残しています。詩題の「人に寄(よ)す」は誰かに贈るという意味で、贈った相手は年をへて会った昔の恋人、もしくは妓女でしょう。
 起句の「風月」には男女が愛し合うという意味が隠されており、風のなかは「虫」(人)、月のなかは「二」、合わせて人が二人になり、愛し合う二人を意味します。「多情」は日本語と異なり感性が豊かで心に感じることが多いという意味です。だから起句は、愛情に心を動かされるのは感性が豊かであるからだと言っていることになります。「別恨」は別れの歎きで、春になると昔の歎きがよみがえってくると詠うのです。
 転句の「柱に倚って尋思すれば」は「尾生の信」をさす句で、むかし尾生という若者が橋のたもとで娘と逢う約束をしました。ところが娘はいっこうに現れず、そのうちに雨が降ってきます。川の水かさが増してきますが尾生は橋脚にすがりついて待ちつづけ、ついに溺れ死んだといいます。つまり相手のことをいつまでも忘れずにいるということで、「一場の春夢 分明ならず」ですが、別れの歎きだけはいつまでも残っていると詠うのです。   

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