中唐34ー戎?
八月十五日 八月十五日
憶昔千秋節 憶(おも)う昔 千秋節(せんしゅうせつ)
懽誤万国同 懽誤(かんご) 万国(ばんこく)同じかりき
今来六親遠 今来(きんらい) 六親(りくしん)遠く
此日一悲風 此(こ)の日 一悲風(いちひふう)
年少逢胡乱 年少(としわか)くして胡乱(こらん)に逢い
時平似夢中 時(とき)平らぎて夢中(むちゅう)に似たり
梨園幾人在 梨園(りえん) 幾人(いくにん)か在る
応是涕無窮 応(まさ)に是(こ)れ 涕 無窮(むきゅう)なるべし
⊂訳⊃
思えば昔 千秋節というお祭りがあり
国中が 喜びを共にした
近ごろは 親族でも疎遠
今日も 悲しい出来事があった
若いころに 安禄山の乱に逢い
平定しても かつての栄華は夢のようだ
梨園にいま 幾人が残っているだろう
涙は流れて 永久にとまることはない
⊂ものがたり⊃ 詩題の「八月十五日」は仲秋の明月の日ですが、出て来るのは八月五日の「千秋節」です。そこに戎?の皮肉があります。八月五日は玄宗皇帝の誕生日で、開元十五年に群臣が上表して千秋節と定められました。天宝三載には「天長節」と改められ、その日は国をあげての祝日でした。
「一悲風」は不明ですが、何か悲しいことがあったのでしょう。しかし、親族からの見舞いもありません。戎?も韋応物と同じように若いころ安禄山の乱に遭遇しました。つづく三句は玄宗皇帝のことで、乱後皇帝は都にもどりましたが、かっての栄華は夢物語です。
「梨園」は玄宗が設立した音楽院で、動乱に遭って楽師たちは離散してしまいました。結びの一句は楊貴妃を想う玄宗皇帝のことでしょう。「応に是れ 涕 無窮なるべし」と詠い、白居易の「長恨歌」の基になった発想の先駆とみなせます。
八月十五日 八月十五日
憶昔千秋節 憶(おも)う昔 千秋節(せんしゅうせつ)
懽誤万国同 懽誤(かんご) 万国(ばんこく)同じかりき
今来六親遠 今来(きんらい) 六親(りくしん)遠く
此日一悲風 此(こ)の日 一悲風(いちひふう)
年少逢胡乱 年少(としわか)くして胡乱(こらん)に逢い
時平似夢中 時(とき)平らぎて夢中(むちゅう)に似たり
梨園幾人在 梨園(りえん) 幾人(いくにん)か在る
応是涕無窮 応(まさ)に是(こ)れ 涕 無窮(むきゅう)なるべし
⊂訳⊃
思えば昔 千秋節というお祭りがあり
国中が 喜びを共にした
近ごろは 親族でも疎遠
今日も 悲しい出来事があった
若いころに 安禄山の乱に逢い
平定しても かつての栄華は夢のようだ
梨園にいま 幾人が残っているだろう
涙は流れて 永久にとまることはない
⊂ものがたり⊃ 詩題の「八月十五日」は仲秋の明月の日ですが、出て来るのは八月五日の「千秋節」です。そこに戎?の皮肉があります。八月五日は玄宗皇帝の誕生日で、開元十五年に群臣が上表して千秋節と定められました。天宝三載には「天長節」と改められ、その日は国をあげての祝日でした。
「一悲風」は不明ですが、何か悲しいことがあったのでしょう。しかし、親族からの見舞いもありません。戎?も韋応物と同じように若いころ安禄山の乱に遭遇しました。つづく三句は玄宗皇帝のことで、乱後皇帝は都にもどりましたが、かっての栄華は夢物語です。
「梨園」は玄宗が設立した音楽院で、動乱に遭って楽師たちは離散してしまいました。結びの一句は楊貴妃を想う玄宗皇帝のことでしょう。「応に是れ 涕 無窮なるべし」と詠い、白居易の「長恨歌」の基になった発想の先駆とみなせます。