南北朝36ー謝朓
遊東田 東田に遊ぶ
慼慼苦無悰 慼慼(せきせき)として悰(たの)しみ無きを苦しみ
携手共行楽 手を携(たずさ)えて共に行楽(こうらく)す
尋雲陟累榭 雲を尋ねて累榭(るいしゃ)に陟(のぼ)り
随山望菌閣 山に随って菌閣(きんかく)を望む
遠樹曖仟仟 遠樹(えんじゅ) 曖(あい)として仟仟(せんせん)たり
生煙紛漠漠 生煙(せいえん) 紛(ふん)として漠漠(ばくばく)たり
魚戲新荷動 魚戲(たわむ)れて 新荷(しんか)動き
鳥散余花落 鳥散(さん)じて 余花(よか)落つ
不対芳春酒 芳春(ほうしゅん)の酒に対せず
還望青山郭 還(かえ)って青山(せいざん)の郭(かく)を望む
⊂訳⊃
鬱々として 楽しいこともないので
友と一緒に 山野に遊ぶ
高みを目指して 幾つもの台榭に上り
山路をたどって 楼閣の美を楽しむ
遠くの樹々は うっすらと霞んで茂り
あたり一面に 靄が色濃く立ちこめる
池の魚は 咲いたばかりの蓮を動かし
枝の小鳥は 花を散らして飛び立っていく
春の旨酒を楽しむよりは
山里の村の景色を眺めていたい
⊂ものがたり⊃ 建康城の東北、鐘山(紫金山)の東に謝朓の山荘がありました。それを「東田」(とうでん)というのでしょう。五言十句のうち中三聯はすべて対句になっており、道ゆき、あたりの様子、魚鳥の動きが捉えられています。
「累榭」は重なり合った台榭(うてな)のことで、版築の土台の上に亭が建っています。「菌閣」の菌は香草のことで、楼閣の美しさをいうものです。三番目の魚鳥の対句は謝朓の繊細な観察眼が示されていて秀句とされています。そして、酒を飲むよりは山里の景色を眺めている方がいいと結びます。
謝朓が三十一歳になった永明十三年(494)七月に斉の武帝が崩じます。後継をめぐって斉の宗室は大混乱に陥り、騒動は十月までつづきます。その後も宋末のような惨状がつづき、謝朓は政事の混乱の中、王位をめぐる政争に巻き込まれて投獄され、三十六歳の若さで獄死しました。
遊東田 東田に遊ぶ
慼慼苦無悰 慼慼(せきせき)として悰(たの)しみ無きを苦しみ
携手共行楽 手を携(たずさ)えて共に行楽(こうらく)す
尋雲陟累榭 雲を尋ねて累榭(るいしゃ)に陟(のぼ)り
随山望菌閣 山に随って菌閣(きんかく)を望む
遠樹曖仟仟 遠樹(えんじゅ) 曖(あい)として仟仟(せんせん)たり
生煙紛漠漠 生煙(せいえん) 紛(ふん)として漠漠(ばくばく)たり
魚戲新荷動 魚戲(たわむ)れて 新荷(しんか)動き
鳥散余花落 鳥散(さん)じて 余花(よか)落つ
不対芳春酒 芳春(ほうしゅん)の酒に対せず
還望青山郭 還(かえ)って青山(せいざん)の郭(かく)を望む
⊂訳⊃
鬱々として 楽しいこともないので
友と一緒に 山野に遊ぶ
高みを目指して 幾つもの台榭に上り
山路をたどって 楼閣の美を楽しむ
遠くの樹々は うっすらと霞んで茂り
あたり一面に 靄が色濃く立ちこめる
池の魚は 咲いたばかりの蓮を動かし
枝の小鳥は 花を散らして飛び立っていく
春の旨酒を楽しむよりは
山里の村の景色を眺めていたい
⊂ものがたり⊃ 建康城の東北、鐘山(紫金山)の東に謝朓の山荘がありました。それを「東田」(とうでん)というのでしょう。五言十句のうち中三聯はすべて対句になっており、道ゆき、あたりの様子、魚鳥の動きが捉えられています。
「累榭」は重なり合った台榭(うてな)のことで、版築の土台の上に亭が建っています。「菌閣」の菌は香草のことで、楼閣の美しさをいうものです。三番目の魚鳥の対句は謝朓の繊細な観察眼が示されていて秀句とされています。そして、酒を飲むよりは山里の景色を眺めている方がいいと結びます。
謝朓が三十一歳になった永明十三年(494)七月に斉の武帝が崩じます。後継をめぐって斉の宗室は大混乱に陥り、騒動は十月までつづきます。その後も宋末のような惨状がつづき、謝朓は政事の混乱の中、王位をめぐる政争に巻き込まれて投獄され、三十六歳の若さで獄死しました。