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ティェンタオの自由訳漢詩 2012

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 中唐9ー顧況
    囝                囝           (前半十一句)

  囝生閩方      囝(けん)は閩方(びんぽう)に生まる
  閩吏得之      閩(びん)の吏  之(こ)れを得て
  乃絶其陽      乃(すなわ)ち其の陽(よう)を絶つ
  為臧為獲      臧(ぞう)と為(な)し  獲(かく)と為し
  到金満屋      金(きん)を到して屋(おく)を満たす
  為髠為鉗      髠(こん)と為(な)し  鉗(けん)と為し
  如視草木      草木(そうもく)を視(み)るが如し
  天道無知      天道(てんどう)知る無く
  我罹其毒      我れ其の毒に罹(かか)る
  神道無知      神道(しんどう)知る無く
  彼受其福      彼れ其の福(ふく)を受く

  ⊂訳⊃
          閩の地では子が生まれると
          地元の役人が取り上げて
          男根を断ち切る
          奴隷にし
          金を儲けて家にため込む
          髪を剃り落とし  首枷をはめ
          草木同然のあつかいだ
          「おれたちはひどい目に逢うが
          天道さまはご存じない
          あいつらは儲けるが
          神様はご存じない」


 ⊂ものがたり⊃ 中唐の社会詩は白居易の諷諭詩にいたって大きく開花することになりますが、その前に顧況・載叔倫という二人の詩人がいて、元結と白居易の間をつないでいます。顧況(こきょう727?ー816?)は海塩(江蘇省蘇州市)の人。粛宗の至徳二載(757)に三十一歳くらいで進士に及第します。
 実はその年の春、粛宗はまだ長安を回復しておらず、鳳翔の行在所にいます。だから科挙の試験は江淮と成都と江東の三府で行われ、顧況は江東府の受験生でした。任官の時期は不明ですが、徳宗のときに秘書郎になり、著作郎に転じました。
 詩題の「囝」(けん)は自注に「閩の俗、子を囝といい、父を郎罷(ろうは)という」とありますので子どものことです。「閩」(福建省一帯)の略奪奴隷の風習をそしる四言古詩で、意識して古風な形式を用いています。
 前半十一句のはじめ七句は略奪奴隷の悪習を描きます。「臧」と「獲」は男と女の奴隷のことです。「髠」は髪を剃り落とす刑、「鉗」は首枷をはめることですが、逃亡を防ぐためでしょう。つづく四句は囝の怒りの言葉で、詩経風に書かれています。

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