中唐7ー韓翃
宿石邑山中 石邑山中に宿す
浮雲不共此山斉 浮雲(ふうん)も此の山と斉(ひと)しからず
山靄蒼蒼望転迷 山靄(さんあい)蒼蒼(そうそう)として望めば転(うた)た迷う
暁月暫飛千樹裏 暁月(ぎょうげつ)暫(しばら)く飛ぶ 千樹の裏(うち)
秋河隔在数峰西 秋河(しゅうか)隔(へだ)たりて 数峰の西に在り
⊂訳⊃
空に浮く雲も この山ほどに高くはなく
薄暗い靄の中 見下ろしても迷いは増すばかり
明け方の月が 樹々の間にしばらく浮かび
天の河は遠く 連なる峰の西によこたわる
⊂ものがたり⊃ 韓翃(かんこう:生没年不詳)は南陽(河南省?県)の人。天宝十三載(754)に元結と同年で進士に及第し、淄青節度使侯希逸(こうきいつ)の幕下に属します。そこを辞して十年ほど閑居するあいだに詩名を高め、「大暦の十才子」のひとりに数えられるようになりました。建中のはじめに召し出され、徳宗の時代に駕部郎中・知制誥、中書舎人に至ります。
詩題の「石邑山」(せきゆうさん)は獲鹿(河北省石家荘市の西)のあたりにある山。旅の途中、山中に宿泊したときの作でしょう。承句の「山靄蒼蒼として望めば転た迷う」は個人の迷い心と解してもいいのですが、先ゆきの見えない時代の混迷をいうと解することもできます。西の山にかかる「秋河」(天の河)も長安が西方遠くにあることを思うと、政府から遠ざかっていることの暗喩と考えることができます。
宿石邑山中 石邑山中に宿す
浮雲不共此山斉 浮雲(ふうん)も此の山と斉(ひと)しからず
山靄蒼蒼望転迷 山靄(さんあい)蒼蒼(そうそう)として望めば転(うた)た迷う
暁月暫飛千樹裏 暁月(ぎょうげつ)暫(しばら)く飛ぶ 千樹の裏(うち)
秋河隔在数峰西 秋河(しゅうか)隔(へだ)たりて 数峰の西に在り
⊂訳⊃
空に浮く雲も この山ほどに高くはなく
薄暗い靄の中 見下ろしても迷いは増すばかり
明け方の月が 樹々の間にしばらく浮かび
天の河は遠く 連なる峰の西によこたわる
⊂ものがたり⊃ 韓翃(かんこう:生没年不詳)は南陽(河南省?県)の人。天宝十三載(754)に元結と同年で進士に及第し、淄青節度使侯希逸(こうきいつ)の幕下に属します。そこを辞して十年ほど閑居するあいだに詩名を高め、「大暦の十才子」のひとりに数えられるようになりました。建中のはじめに召し出され、徳宗の時代に駕部郎中・知制誥、中書舎人に至ります。
詩題の「石邑山」(せきゆうさん)は獲鹿(河北省石家荘市の西)のあたりにある山。旅の途中、山中に宿泊したときの作でしょう。承句の「山靄蒼蒼として望めば転た迷う」は個人の迷い心と解してもいいのですが、先ゆきの見えない時代の混迷をいうと解することもできます。西の山にかかる「秋河」(天の河)も長安が西方遠くにあることを思うと、政府から遠ざかっていることの暗喩と考えることができます。