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ティェンタオの自由訳漢詩 1998

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 盛唐92ー高適
   邯鄲少年行            邯鄲少年行         (前半八句)

  邯鄲城南游侠子   邯鄲(かんたん)城南  游侠(ゆうきょう)の子(こ)
  自矜生長邯鄲裏   自ら矜(ほこ)る   邯鄲の裏(うち)に生長せしを
  千場縦博家仍富   千場(せんじょう)  博(はく)を縦(ほしいまま)にして  家  仍(な)お富み
  幾度報讎身不死   幾度か讎(あだ)を報(むく)いて   身(み)  死せざる
  宅中歌笑日紛紛   宅中(たくちゅう)の歌笑(かしょう)  日に紛紛(ふんぷん)
  門外車馬常如雲   門外の車馬(しゃば)  常に雲の如し
  未知肝胆向誰是   未(いま)だ知らず   肝胆(かんたん)  誰に向かってか是(ぜ)なる
  令人却憶平原君   人をして却(かえ)って平原君(へいげんくん)を憶(おも)わ令(し)む

  ⊂訳⊃
          邯鄲城内の南部に住む  私は街の男伊達
          邯鄲に生まれて育つと  胸を張る
          思うがままの賭場歩き  それでも家は金持ちで
          喧嘩出入りを重ねたが  死ぬこともなく生きている
          家では毎日宴会つづき  歌声と笑いに満ち溢れ
          門前にはお客の馬車が  雲のように並んでいる
          ところが自分の胸の内  誰に打ち明けようもなく
          かつての趙の平原君を  心の内で慕っていた


 ⊂ものがたり⊃ 高適は遊歴の旅をつづけ、李白が都から追われたと聞いて面会しようと駆けつけます。天宝三載(744)の秋、李白と杜甫の梁宋の交遊に参加して旅を共にします。高適は李白より六歳ほど年少、杜甫より五歳ほど年長でした。岑参よりは八歳ほどの年長です。
 詩題の「邯鄲」は戦国時代の趙の都。漢代にも栄え、遊侠と歌舞の盛んな街として有名でした。高適は邯鄲の生まれではありませんが、邯鄲のある河北の生まれですので、物語としての自己を邯鄲に比定したのでしょう。
 はじめの四句は自分の若いころを描いて人物を設定します。「邯鄲城南」は城内の南部で、南門に近いところは繁華街でした。「游侠の子」は正義を重んじ弱きを助け強きを挫く若者のことであり、やくざではありません。
 つぎの四句は若いころは宴会つづき、馬車に乗った客が雲のように押し寄せる賑やかさであったといいます。だが、心の内を打ち明けるような真の友はいなかったと回顧します。「平原君」は戦国時代の趙の王族で、人材を大切にして多くの食客を抱えていました。その平原君のような人を知る人物を慕っていたと詠います。
  

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