盛唐89ー岑参
登總持閣 總持閣に登る
高閣逼諸天 高閣(こうかく) 諸天(しょてん)に逼(せま)り
登臨近日辺 登臨(とうりん)すれば日辺(じっぺん)に近し
晴開万井樹 晴れては開く 万井(ばんせい)の樹(じゅ)
愁看五陵烟 愁えては看る 五陵(ごりょう)の烟(けむり)
檻外低秦嶺 檻外(かんがい)に秦嶺(しんれい)低く
窓中小渭川 窓中(そうちゅう)に渭川(いせん)小なり
早知清浄理 早(つと)に知る 清浄(しょうじょう)の理
常願奉金仙 常に金仙(きんせん)を奉ぜんことを願わん
⊂訳⊃
高殿は 二十八天に逼るほど高く
登れば 日輪に近づく
晴れた空の下 一望する長安の街
愁えて眺める 五陵の街の霞む色
欄干のそとに 秦嶺は低くつらなり
窓枠になかで 渭水の野は小さい
清浄の教えの事は かねて私も聞いていた
み仏に仕える事を いつも心に念じていよう
⊂ものがたり⊃ 天宝十四載(755)十一月、安禄山の乱が起きたとき、岑参は北庭都護府(新疆ウイグル自治区破城子)にいました。ただちに帰国して粛宗の陣に加わり、乱後、右補闕に任じられます。同じく粛宗朝に仕えていた王維や賈至、杜甫らと交わります。
詩は粛宗朝に仕えて長安にいたときの作品で、詩題の「總持閣」(そうじかく)は長安城内の西南隅にあった大總持寺の高殿です。はじめの二句で總持閣の姿を描きます。「諸天」は仏教にいう二十八天を指しますので、単なる天ではありません。
中四句は總持閣の窓からの眺めです。「万井の樹」は市井と樹木のことで、ここでは長安の街でしょう。「五陵の烟」は裕福な人の住む五陵(五つの陵邑)のあたりに立ち込める霞であり、それを愁えて眺めるのです。そこには時代を憂慮する気持ちが込められています。「渭川」は渭水に添った平野、関中盆地のことです。
結びの「清浄の理」は清らかな教えで、仏教のことです。「金仙」は金色の仙人ということになりますが、仏像のことです。岑参は安思の乱後に仏法への帰依の心を抱いたことが窺えます。
長安での勤務の後、岑参は虢州(河南省霊宝県の南)長史や嘉州(四川省楽山県)刺史に任じられます。大暦五年(770)、嘉州での三年の任期を終えて長安にもどる途中、成都(四川省成都市)で病没しました。享年は五十六歳です。
登總持閣 總持閣に登る
高閣逼諸天 高閣(こうかく) 諸天(しょてん)に逼(せま)り
登臨近日辺 登臨(とうりん)すれば日辺(じっぺん)に近し
晴開万井樹 晴れては開く 万井(ばんせい)の樹(じゅ)
愁看五陵烟 愁えては看る 五陵(ごりょう)の烟(けむり)
檻外低秦嶺 檻外(かんがい)に秦嶺(しんれい)低く
窓中小渭川 窓中(そうちゅう)に渭川(いせん)小なり
早知清浄理 早(つと)に知る 清浄(しょうじょう)の理
常願奉金仙 常に金仙(きんせん)を奉ぜんことを願わん
⊂訳⊃
高殿は 二十八天に逼るほど高く
登れば 日輪に近づく
晴れた空の下 一望する長安の街
愁えて眺める 五陵の街の霞む色
欄干のそとに 秦嶺は低くつらなり
窓枠になかで 渭水の野は小さい
清浄の教えの事は かねて私も聞いていた
み仏に仕える事を いつも心に念じていよう
⊂ものがたり⊃ 天宝十四載(755)十一月、安禄山の乱が起きたとき、岑参は北庭都護府(新疆ウイグル自治区破城子)にいました。ただちに帰国して粛宗の陣に加わり、乱後、右補闕に任じられます。同じく粛宗朝に仕えていた王維や賈至、杜甫らと交わります。
詩は粛宗朝に仕えて長安にいたときの作品で、詩題の「總持閣」(そうじかく)は長安城内の西南隅にあった大總持寺の高殿です。はじめの二句で總持閣の姿を描きます。「諸天」は仏教にいう二十八天を指しますので、単なる天ではありません。
中四句は總持閣の窓からの眺めです。「万井の樹」は市井と樹木のことで、ここでは長安の街でしょう。「五陵の烟」は裕福な人の住む五陵(五つの陵邑)のあたりに立ち込める霞であり、それを愁えて眺めるのです。そこには時代を憂慮する気持ちが込められています。「渭川」は渭水に添った平野、関中盆地のことです。
結びの「清浄の理」は清らかな教えで、仏教のことです。「金仙」は金色の仙人ということになりますが、仏像のことです。岑参は安思の乱後に仏法への帰依の心を抱いたことが窺えます。
長安での勤務の後、岑参は虢州(河南省霊宝県の南)長史や嘉州(四川省楽山県)刺史に任じられます。大暦五年(770)、嘉州での三年の任期を終えて長安にもどる途中、成都(四川省成都市)で病没しました。享年は五十六歳です。