盛唐86ー岑参
封大夫破播仙凱歌 封大夫の播仙を破る凱歌
其四 其の四
日落轅門鼓角鳴 日(ひ)は落ちて 轅門(えんもん) 鼓角(こかく)鳴り
千群面縛出蕃城 千群(せんぐん) 面縛(めんばく)して蕃城(ばんじょう)を出づ
洗兵魚海雲迎陣 兵を魚海(ぎょかい)に洗えば 雲 陣(じん)を迎え
秣馬龍堆月照営 馬を龍堆(りょうたい)に秣(まぐさか)えば 月 営(えい)を照らす
⊂訳⊃
日暮れの軍門で 鼓笛が鳴り
夷狄の群れは 後ろ手になって城を出る
魚海の水で武器を洗うと 雲は湧いて軍を迎え
白龍堆で馬を休ませると 月は明るく陣営を照らす
⊂ものがたり⊃ 詩題の「封大夫」(ほうたいふ)は北庭節度使封常清(ほうじょうせい)とみられます。岑参は天宝十三載(754)には封常清の幕下に属していて、北庭都護府に赴任しています。そのときの作でしょう。詩は封常清が「播仙」(はせん:新疆ウイグル自治区孚遠県)を撃破したときに捧げた戦勝祝賀の詩で、六首連作の四首目です。
軍が野外で宿営するとき、戦車を並べて囲いとするのは古い習わしで、その野営の門を「轅門」といいます。ここでは野営の門ではなく、駐屯地の軍門を雅して言うのでしょう。「面縛」はみずからを後ろ手にしばり、降伏することです。
「魚海」は甘粛省の湖、「龍堆」は新疆ウイグル自治区の砂漠白龍堆のことで、ウルムチの近くの北庭都護府や播仙とは離れています。後半二句は凱旋して「兵」(武器)を洗い、馬をやすめる場所として象徴的に詠っているのであり、祝賀の詩としての形式を整えるものです。
封大夫破播仙凱歌 封大夫の播仙を破る凱歌
其四 其の四
日落轅門鼓角鳴 日(ひ)は落ちて 轅門(えんもん) 鼓角(こかく)鳴り
千群面縛出蕃城 千群(せんぐん) 面縛(めんばく)して蕃城(ばんじょう)を出づ
洗兵魚海雲迎陣 兵を魚海(ぎょかい)に洗えば 雲 陣(じん)を迎え
秣馬龍堆月照営 馬を龍堆(りょうたい)に秣(まぐさか)えば 月 営(えい)を照らす
⊂訳⊃
日暮れの軍門で 鼓笛が鳴り
夷狄の群れは 後ろ手になって城を出る
魚海の水で武器を洗うと 雲は湧いて軍を迎え
白龍堆で馬を休ませると 月は明るく陣営を照らす
⊂ものがたり⊃ 詩題の「封大夫」(ほうたいふ)は北庭節度使封常清(ほうじょうせい)とみられます。岑参は天宝十三載(754)には封常清の幕下に属していて、北庭都護府に赴任しています。そのときの作でしょう。詩は封常清が「播仙」(はせん:新疆ウイグル自治区孚遠県)を撃破したときに捧げた戦勝祝賀の詩で、六首連作の四首目です。
軍が野外で宿営するとき、戦車を並べて囲いとするのは古い習わしで、その野営の門を「轅門」といいます。ここでは野営の門ではなく、駐屯地の軍門を雅して言うのでしょう。「面縛」はみずからを後ろ手にしばり、降伏することです。
「魚海」は甘粛省の湖、「龍堆」は新疆ウイグル自治区の砂漠白龍堆のことで、ウルムチの近くの北庭都護府や播仙とは離れています。後半二句は凱旋して「兵」(武器)を洗い、馬をやすめる場所として象徴的に詠っているのであり、祝賀の詩としての形式を整えるものです。