盛唐78ー岑参
玉関寄長安李主簿 玉関にて長安の李主簿に寄す
東去長安万里余 東のかた長安を去って万里余(ばんりよ)
故人那惜一行書 故人(こじん)那(いか)んぞ一行の書を惜(お)しむ
玉関西望腸堪断 玉関(ぎょくかん) 西望すれば腸(はらわた)断つに堪(た)えたり
况復明朝是歳除 况(いわ)んや復(ま)た明朝(みょうちょう)は是(こ)れ歳除(さいじょ)なるをや
⊂訳⊃
東の長安から 一万余里
友よどうして 一行の便りもくれないのか
玉門関の西を望めば 腸も千切れるほど
まして明日は大晦日 また一歳を重ねるのだ
⊂ものがたり⊃ 詩題の「玉関」(ぎょくかん)は玉門関のことで、唐代は敦煌(とんこう)の北東160kmのところにありました。「李主簿」(りしゅぼ)は長安県の主簿(事務官)と見られますが、伝不明です。岑参が安西都護府に赴任する途中、玉門關に滞在したときの作品でしょう。
玉関寄長安李主簿 玉関にて長安の李主簿に寄す
東去長安万里余 東のかた長安を去って万里余(ばんりよ)
故人那惜一行書 故人(こじん)那(いか)んぞ一行の書を惜(お)しむ
玉関西望腸堪断 玉関(ぎょくかん) 西望すれば腸(はらわた)断つに堪(た)えたり
况復明朝是歳除 况(いわ)んや復(ま)た明朝(みょうちょう)は是(こ)れ歳除(さいじょ)なるをや
⊂訳⊃
東の長安から 一万余里
友よどうして 一行の便りもくれないのか
玉門関の西を望めば 腸も千切れるほど
まして明日は大晦日 また一歳を重ねるのだ
⊂ものがたり⊃ 詩題の「玉関」(ぎょくかん)は玉門関のことで、唐代は敦煌(とんこう)の北東160kmのところにありました。「李主簿」(りしゅぼ)は長安県の主簿(事務官)と見られますが、伝不明です。岑参が安西都護府に赴任する途中、玉門關に滞在したときの作品でしょう。