南北朝50ー歌謠
長干曲 長干曲
逆浪故相邀 逆浪(げきろう) 故(ことさら)に相邀(あいむか)う
菱舟不怕揺 菱舟(りょうしゅう) 揺るるを怕(おそ)れず
妾家揚子住 妾(しょう)が家 揚子(ようし)に住み
便弄広陵潮 便(すなわ)ち広陵(こうりょう)の潮(うしお)を弄(ろう)す
⊂訳⊃
私はあえて 逆巻く波に立ち向かう
菱摘み舟が 揺れてもこわくはありません
私の家は 揚子にあって
揚州の波を 自由自在に操れます
⊂ものがたり⊃ 曲名の「長干」(ちょうかん)は首都建康の長江沿岸にあった町で、船運を利用する商業の盛んな港町でした。長干のあたりで作られた民謡を長干曲といいます。
歌は建康よりも下流の揚州付近に揚子という渡津があり、そこに家のある娘が菱摘み舟を操る腕前を自慢しています。当時は小舟を操って菱の実を摘む作業は、若い娘の仕事でした。歌には働く女性の気っぷのよさが出ています。長干の男に自分を売り込んでいるのでしょうか。
なお「広陵」は揚州の古名で、このころの長江は揚州に近いところで海に注いでいましたので、波が荒かったようです。
長干曲 長干曲
逆浪故相邀 逆浪(げきろう) 故(ことさら)に相邀(あいむか)う
菱舟不怕揺 菱舟(りょうしゅう) 揺るるを怕(おそ)れず
妾家揚子住 妾(しょう)が家 揚子(ようし)に住み
便弄広陵潮 便(すなわ)ち広陵(こうりょう)の潮(うしお)を弄(ろう)す
⊂訳⊃
私はあえて 逆巻く波に立ち向かう
菱摘み舟が 揺れてもこわくはありません
私の家は 揚子にあって
揚州の波を 自由自在に操れます
⊂ものがたり⊃ 曲名の「長干」(ちょうかん)は首都建康の長江沿岸にあった町で、船運を利用する商業の盛んな港町でした。長干のあたりで作られた民謡を長干曲といいます。
歌は建康よりも下流の揚州付近に揚子という渡津があり、そこに家のある娘が菱摘み舟を操る腕前を自慢しています。当時は小舟を操って菱の実を摘む作業は、若い娘の仕事でした。歌には働く女性の気っぷのよさが出ています。長干の男に自分を売り込んでいるのでしょうか。
なお「広陵」は揚州の古名で、このころの長江は揚州に近いところで海に注いでいましたので、波が荒かったようです。